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寺島美樹子

釧路市出身 釧路市在住

1963年生まれ。大手保険会社事務員などを経験後、自身の家業である「コーヒー豆の店サンサン」をご主人と受け継ぐ。
道東のイベントなどにも精力的に出店し、その明るさと人懐っこさを売りにサンサンの自家焙煎コーヒーを広めている。
好奇心旺盛でフットワークの軽い二女の母。

ドラッグストア・ガソリンスタンド・本屋・スーパーなどの大型ショップが立ち並ぶ車通りの多い通りから1本入った、
住宅街の中に「コーヒー豆の店サンサン」(以下、サンサン)があった。
様々な世代の人が行き交うこの地区で、創業43年になる老舗のコーヒー店が今も変わらず親しまれ続けている。

その人好みの味を提供したい

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サンサンの特徴は、お客様からの声を反映する店づくりだ。
時代の流れや世界情勢に多分に影響を受ける「コーヒー豆」を扱う商売柄か、ニーズがあれば変化に労力を惜しまない。

ー サンサンさんはどのようなコーヒーショップなのでしょうか?

自家焙煎豆の販売がメインで、器具の販売や、喫茶もやっています。
豆販売は常連さんに限らず老若男女、喫茶の方はのんびりしたい方が多くいらしてます。

ー 豆の種類はいつも変えているんですか?

基本的には変えてないよ。だけど…実は世界情勢と密着しててね〜。
例えばジャマイカ島で生産されている「ブルーマウンテンNO1」や「ハイマウンテン」「ジャマイカ」などは
カリブ海で発生したハリケーンの通過でコーヒーの木が倒れるなど大きな被害を受けて、更に病虫害の被害が広がって生産量が激減したの。
コーヒー生豆の価格が高騰したまま値が下がる気配がないから、うちのような小売店では扱えない豆になってしまったんだよね。
「モカマタリ」も原産国イエメンの内戦悪化で政治情勢が不安定になり入手できなくなるかもしれないんだよ。

ー そんなにも世界の気候変動や、内戦、国家政策に直接影響があるんですね

コーヒー豆は赤道を中心としたコーヒーベルト地帯で生産されているんだけど、世界的な気象異変が起きて生産が落ち込んでいるし、
政治情勢が不安定な国が多いのよね。
特にアフリカでは内戦が激化していてコーヒーの仕入れにダイレクトに関わっているの。

ー ブレンドのものはお困りではなかったですか?

そうなの!それこそお店を代表する「サンサンブレンド」に欠かせなかった「ジャマイカ」が入荷しなくて、試行錯誤して去年配合変えたんだよ〜。
本当大変だったんだから!笑

ー 作っちゃったらこれで安心してるわけじゃないんですね

そうだよ〜。そういう意味ではコーヒー屋さん、面白いよ。世界は身近だよ!

ー 今回我々クスろも作っていただきましたが、お客様へのオリジナルブレンド制作を始めたきっかけは?

えっとね、もともとうちの親の代からお客様の要望によって焼き方や配合を変えていたんだよね。
焙煎のやり方を浅焼きにしてとか、これとこれをこの配合で挽いてとか。
だから、ご依頼いただければこれまでもお客様の好みのブレンドは作ってきたんだよ。
窯の関係で500gからになるんだけど、焙煎の加減は(浅くとか深くとか)はご要望があれば承っています。

※2015年秋に、クスろはサンサンさんでクスろオリジナルブレンド『ハツコヒノアジ』を作っていただきました。

ー 先代から続く、細かな対応なんですね

他にも、お客様からの要望でワンドリップパックを作ったんだよ。
たまたまよく行く知り合いの珈琲店でオリジナルのワンドリップパックを見つけて。
「これってどうなの?」って聞いたらそのお店の子が「結構良いですよ〜、パクっちゃってくださいよ!」って
仕入れているパッケージやら作り方を教えてくれたのね笑。
最初半信半疑だったんだけど、作ってみたらおかげさまで人気の商品になりました。

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ゆったりとした喫茶スペース(左)とハンドドリップで一杯一杯丁寧に淹れる様子(右)

父が始めた「パーラーサンサン」

1972年12月、寺島さんのお父様が脱サラ後、釧路駅前の複合商業施設内テナントとして、サンサンの前身となる「パーラーサンサン」をオープンした。
寺島さんは会社員時代を経て、ご主人とともに「自分とそっくりな父」という破天荒なお父様からコーヒー店を任されることになった。

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ー 幼少期からずっと釧路にお住まいだったんですか?

5歳から小学校4年生の夏まで父の転職のため東京で過ごしたの。
私の祖父が絵描きで東京に居たので、その家を二世帯にして住んでたんだ。
父は中央大学の法学部を卒業して釧路に戻り地元の金融機関に入社したんだけど、脱サラして東京に来てからは「電気按摩」みたいの売ってたり笑。
割と高学歴だったのに…組織に属せない人間だったのかな笑

ー 面白いお父様ですね。コーヒー店の経営はどういった経緯で始まったのでしょうか?

まず、曽祖父の持っていた釧路の土地に、複合商業施設を建設するという話が持ち上がって、そこに何かテナントを出さないかって話が出てきたの。
それを聞いて「素人でも出来る商売って喫茶店か?」と考えたらしく笑、家族みんなで東京から釧路に戻ることに。
それで、今の店の前身として、「パーラーサンサン」を開業したの。
最初は卸業者から焙煎済みの豆を仕入れて販売していたんだけど、リニューアル時に焙煎機を買って自家焙煎コーヒー豆の販売を始めたんだよね。

ー そうなんですね。最初はテナントだったんですね

そうそう。でもその複合商業施設が閉店したんで、2000年に路面店の「コーヒー豆の店サンサン」を建設することになったんだよね。

ー それで現在のお店に至るわけですね。ご両親の代から変わらないものはありますか?

「焼立て・挽きたて・入れたて」という焙煎豆の鮮度を守ること。
それから、毎月5日間だけするコーヒー豆の「2割引セール」かなあ。
「そういうものは途中でやめるな。定着したものを安易に変えると信用を落とす」
という父の教えがあって私達の代になっても納得して受け継いでいるね。

ー 焙煎はどのようにされているんですか?

店とは別で、自宅に焙煎機があるので主人がそこでしています。汗だくで笑
焙煎は均一にするのが大変。
季節や室温によって、耳で聞いた弾け音で何分とか、何秒たったらどうとか、もう一回ピチピチって言ったらどうするとかね。
私も最初の頃、父から焙煎の仕方は教えてもらったんだけど、今は役割分担して主人が全ての豆を焼いています。

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コーヒー豆の2割引セールを毎月楽しみにしているお客様も多い(左)と似た者同士という寺島さんとお父様(右)

遊び尽くしたからある、今

寺島さんは高校卒業後、短大へ進学。
11年勤務した大手保険会社の事務員時代やご主人の転勤で釧路を離れ都会で過ごした時期も、
思い切り遊んだ経験が、何事もみんなでわいわいと楽しむ価値観を生んでいるそうだ。

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ー 高校卒業後の進路はどういったものだったんですか?

札幌の短大(栄養科)へ進学したの。
その後大学に紹介してもらった個人病院で栄養士として勤務したんだけど、たった半年で挫折笑。
その後、中途採用の募集をしてた保険会社を受けてみることになったんだけど、世間知らずだったから面接にはバイトの合間に汚いジーパンで行ったんだ笑
今思うと赤面モノだけど、まさかの採用で。
会社も景気が良くて遊びまくってたし、みんな良い人ばっかりだったから結婚しなかったらやめなかったなあ。

ー そこで、結婚となるわけですね。ご主人はどちらのご出身だったんですか?

旦那も同じ釧路なんだけど、大学も就職も東京だったの。
今はもう無いんだけど、外資系大型CDストアでCDとかビデオとかのバイヤーやってたの。

ー かっこいいですね!お二人とも釧路お出身ということは元々お知り合いだったんでしょうか?

出会いは、もうね、笑っちゃうよ笑
元々、旦那とうちの父親同士が同じ職場で、お互いの子ども達が30歳近くになった時に会わせてみようかってことになったみたいで…
「お見合い」って言いたくないんだけどね〜笑
でも音楽とか映画の話とか、当時から神社巡りが好きで趣味が合って、まあ良かったかな。

ー ラブラブじゃないですか!

ラブラブじゃないよ!笑
どちらかというと旦那はインドア派で、私はどちらかというと外でわーっと遊びたいタイプだからね。
でも共通してる趣味も結構あるかもね。

ー その後コーヒーショップ経営にはどうやってたどり着くんでしょうか?

旦那の仕事の都合で京都・東京・札幌と数年都会で暮らしたあと、その会社が日本から撤退。
当時は拓銀が破たんして、なかなか仕事が無くてね、そんなタイミングでちょうどうちの親が歳だから店やめようかなーって言い出して。

※拓殖銀行破たん:1899年(明治32年)国策銀行として設立。北海道財界に絶大な影響力を持つが、バブル後に数兆円に渡る多額の不良債権を抱え1998年破たん。

ー ご両親の体調不良で釧路に戻ったのですね

そうね。1998年4月に釧路に戻ってきたの。コーヒーのことは両親やパートさんに教えてもらって。
豆の種類も今日はこれ、今日はこれ、って感じで毎日飲んでは味を覚えていったなあ。
父が焼いた豆をチェックして、焙煎の勉強したりした。
でもそんな日々を数年続けてたら40歳の頃に、具合悪くなっちゃって。

ー 元気な寺島さんが、体調を崩していた時期がおありだったとは驚きです

コーヒー屋をやり始めた時は子供が1歳と小さかったので、店と保育園と家の往復。
その長年の疲れが溜まってたんだろうね。
子どもがインフルエンザになったら私は肺炎になったり、子どもが腸炎になったら私はもっとひどいのになって病院に点滴通ったり。
参観日で密封された空気に耐えられなくなって保護者のくせに保健室にお世話になってたりとか笑
もう何をやっても病気でね。

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神社やお寺巡りを楽しんでいた結婚前(左)、とにかく飲みまくっていたという保険会社員時代(右)

外に飛び出すコーヒー屋さん

忙しく過ぎていく毎日の中、閉鎖的な暮らしを余儀無くされ体調が優れなかったという寺島さん。
様々なことが落ち着いてきた頃から少しずつ喫茶スペースでのイベント、展示やライブ開催に加え、
寺島さんご自身も道東のイベントに参加するようになった。
その積極的な行動や、テンポのいい軽快な語り口とは裏腹に、ご自身のことは「人見知り」や「自信が無い」という。

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ー イベント出店をされるようになったきっかけは?

ちょうど店の回し方もわかってきて、体調も子育ても落ち着いて、というタイミングのこと。
あるカフェのパン部門を担当していた女性との出会いがきっかけで、
そのカフェでオリジナルブレンドコーヒーを提供したいと相談を受けていたことがあって。
彼女は経営ができなくなったオーナーからその店を引き継いだ後、いつも私にイベント参加のお誘いをしてくれてね。
そこから多くの手作り作家さんたちにも知り合う機会をもらったんだ。

ー 寺島さんの好奇心旺盛な本質を引き出すような、素敵な出会いだったんですね

そうね。会社員と違うのは、日々新しい出会いがあるし色んな情報をキャッチ出来てること。
カフェめぐりも好きだからさ、そこで出会った人と友達になることはよくあるの。
でも私こう見えて、人見知りだから笑

ー 人見知りとは違う気がしますが…笑

人見知りだよー!全然、自分に自身無いし!
でも楽しいところには色んなアンテナ張ってるから、楽しそうなとこにはひゅって入り込むかな。
それから面白いことにはまずは誘ってみて相手が乗ってきたら「じゃあ一緒にやろうよ」ってひたすら盛り上げる笑
だけど、相手が嫌そうなら無理強いしない。

ー そんな寺島さんご自身に大きな魅力を感じますが

いやいや。すごいのは私の周り。自分自身は特技も無いし自信も無い。
だけどね、釧路で眠ってる人や活躍してる人達を後押ししたいっていう気持ちはすごくあるの。
だから素敵な知り合い同士を会わせてマッチングさせたりすることは大好きなんだ。

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クスろ主催の「ブイブイマーケット」にも出店(左)、仲の良い仲間とコラボしてイベントに参加することも(右)

焙煎・店内の音楽はご主人。人とのつながりを寺島さん。
サンサンに無くてはならない要素を二人はうまく役割分担している。
年間何本もこなす、イベント出店もいたって楽しげ。
自信がないからこそ、偉ぶらない彼女の元にはあらゆる情報が集まり、人脈が広がる。
コーヒーショップを拠点にしつつも、その枠に収まらない寺島さんの自由な動き方によって、サンサンはどんどん街に溶けこんでいっているようだ。
こんな人知らない?こういうことしたいんだけどどうしたらいい?と、まずは寺島さんに相談してみたらいい。
彼女のネットワークから思いがけない引き出しを見せてくれるだろう。
そんな時、また新たなアイデアが生まれ、私たちは寺島さんから楽しい「お誘い」を受けているかもしれない。

寺島さんと出会うには?
「コーヒー豆の店サンサン」
釧路市芦野3−1-13
0154-37-1533
営業時間:AM10:00~PM7:00
定休日:毎週金曜日・第2土曜日
HP:http://homepage3.nifty.com/sansan-coffee/

クスろオリジナルブレンド『ハツコヒノアジ』が完成!
先日開催の「グローバル収穫祭」で初お披露目した、クスろオリジナルブレンド『ハツコヒノアジ』はサンサンさんとのコラボ商品です。
ブレンドを決めるとき、コーヒーを何杯も試飲させていただくという幸せなひと時ではあったのですが、
飲み比べると微妙な違いにうんうん唸るクスろメンバー。
ブレンドの配合が決まれば、即ネーミング会議。寺島さんも参加してくださり笑、無事に決定した「ハツコヒノアジ」は
今後クスろが主催・参加するイベントなどでも登場させたいと思っていますので、ぜひお試し下さいね!

ぼりの編集後記
bori” width=寺島さんのコーヒーをいただきました!
酸味や深みなど、好みの味を聞いて詳しく説明してくださいます。
話題豊富な寺島さんとのおしゃべりで、釧路の新しい情報にも触れることができちゃいます。とにかく明るいので、悩み事も「まあ、いっか」とあっさり片付いてしまうほど。
寺島さんとの痛快な語りを楽しむも良し、ご主人やスタッフさん達の優しい笑顔に癒されるも良し。あなた好みのサンサンさんでの過ごし方を見つけてくださいね〜。