三宅一明

釧路市出身釧路市在住

1973年生まれ
札幌の専門学校を卒業後、そのまま札幌でカメラマン、カメラショップ店員、大手電子機器メーカーの講師を経験。
専門店の必要性を感じて、家業である模型専門店「ミヤケ模型」を継ぐため釧路へUターン。
現在、3代目代表取締役社長。
模型を通して「もの作りの楽しさ」を様々なアプローチで伝えている。
一流の模型オタクを追求中。

JR釧路駅前通りである「北大通り(きたおおどおり)」は オフィスビルや中小商店などが並んでいる。
三宅さんが営む「ミヤケ模型」はその北大通りのはじまり、駅からすぐのわかりやすい位置にあり、日々模型好きの常連客や子ども達がお気に入りの商品を求めて来店する。
経営をしながらご自身の創作活動も意欲的に行っているという三宅さん。その活動拠点にお邪魔した。

「職人」ではなく100%「模型専門店の店員」

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30坪の店内には、塗料・工具・プラモデルを合わせて、約2,000点ほどの商品がびっしりと並ぶ。
その他に、お客様からの提供作品や三宅さんの作品も飾られている、なんとも異空間。
2階のスペースはミニ四駆イベントに利用したり、その奥にある三宅さんの「模型工作室」は学生模型サークル等へ貸出をするなどとして、お客様の「遊び場」の役割も担っている。

ー 普段、この「ミヤケ模型」でどのように過ごしてらっしゃいますか?

営業時間内は1階で模型屋の店員としてお客様に接して、閉店後は2階の「模型工作室」で自分の技術を磨く時間を毎日4時間くらい過ごしてるよ。
作品はコンテストや展示会に出展しているんだ。

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お客様が作った模型を展示するスペース
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ミニ四駆イベントを行うスペース
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作業部屋で制作する三宅さん

そんな三宅さんの技術はすさまじく、大手玩具メーカー・バンダイ主催の「プロショップマイスターコンテスト」では、なんと全国一位に。
「箸にも棒にもかからなかった」と言う開催1回目の結果を経て、2回目には最優秀賞を受賞し、4回目も最優秀賞を受賞した。

※「プロショップマイスターコンテスト」:バンダイが選定した豊富な知識と技術を持つ模型専門店販売員「プロショップマイスター」を対象に開催。
全国から集まる約100点の模型作品の出来映えを競うコンテスト。

ー 模型作りでこだわっていることは何ですか?

「改造はせず既製品に手間と工夫をかけること」。
箱の中に入っているものだけでも丁寧に時間をかけて塗装したらここまでの作品が出来るということを伝えたいので、別売のパーツを付けたり、プラスチックを付け替えたり、削って別の形に加工するなどということはしないんだ。
その代わり、精度が上がると思うことは徹底的にやる。
他の人が30分でやる所を3時間かけて丁寧に仕上げるとか、この面が平じゃないと思ったらやすりでものすごい平にするとか、そういう感じ笑
1つの模型が出来上がるまでに、一日4時間ずつ約一ヶ月半かかるんだよ。

ー 本当にこだわりがすごいですね!三宅さんの思う「模型」の良さとはなんですか?

1個の模型を十人十色のアレンジで表現できて、それが共通の話題となり人が繋がれるところかな。
その原型の歴史や地理などの背景を調べる行為も模型作りの一つの醍醐味であって、それを思い思いのポーズや塗装で表現するんだよね。
忠実に再現するのもOK、オリジナルの新しいものを作るのもOKで、それが面白い。
もともとは量販をしているオフィシャルなものなのに、世界に一個しかないものが出来るわけだからね。

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2回目の最優秀賞をとったアラレちゃんのビフォーアフター(左)と4回目の最優秀賞をとったガンダム(右)

一度離れたカメラの世界

模型にひたむきに向き合い続けるのには、今までにどんな経験があったからだろうか。
三宅さんは小さい頃からものを作ったり分解したりするのが好きで、お店にあったプラモデルやラジコンはもちろんだが、中でも「カメラ」が好きだったと言う。

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ー 模型屋さんではなく、最初はカメラをお仕事にされたんですね。

そう。継ぐ気は特になくて。
カメラが大好きだったので、高校卒業後は札幌の専門学校で写真を学んだんだ。
その後、スタジオカメラマンのアシスタント、ホテルカメラマンを経て、学校写真の引率カメラマンをやっていた時代に人生で一番の挫折を経験をしたんだよね。
まあ、今まで結構閉鎖された職場空間だったのもあり、社交性に欠けていたんだろうね。
大きな失敗をした上に、会社内での人付き合いもうまく回らなくなってきて、追いつめられて精神状態も厳しくなって。
とうとう俺はその会社に居られなくなってしまったんだよね。
それで大好きだったカメラとも一切離れてしまうことになった。

ー 三宅さんは穏やかで明るい印象がありますが、そんな経験をされていたなんて驚きですね。
その後はどうなってしまったんですか?

とりあえずビール園、居酒屋でバイトを掛け持ちして生きつないでたね。
けど、そこで多種多様なバイト仲間に出会って。
仕事首になってとか、音楽やるためにとか、何もしたいこと無いからとか…
結構人生適当でもなんとかなるな、って良い意味で肩の力が抜けて行ったんだよね。

ー その後はどうなっていったんですか?

カメラを再び手にし、バイト先の居酒屋でメニュー写真を撮影する等、少しずつ前向きに生き始めていった。
そんな中、よく機材を購入していた知り合いの小さなカメラショップから急遽欠員が出たので働かないかと誘われたんだ。
実家が専門店だったから、物販や接客の経験もあったんで、そこで販売員をすることになったよ。

ー 今度はカメラを売る立場になったのですね。

そう。けど数年後、大手量販店の札幌参入の影響でそのカメラショップは廃業しちゃったんだけどね。
でも大手電子機器メーカーの写真講師としてお声をかけてもらえて、すぐに仕事は決まったの。
実はメインの仕事が、不毛にも廃業の原因となった量販店のカメラ売場の担当教育だったんだけど笑。
その他は講習で全道各地を回ったり、販売店の販売応援もしていたよ。

カメラに関わる仕事を続けていた30歳手前の頃、実家の父親から「歳だしもう俺の代で模型店はたたもうかな」と言う話が出て来たそう。

ー お父さんの一言で継ぐ気の無かった三宅さんの気持ちはどう反応しましたか?

俺は大手量販店の内情を見て、「この売場はとうてい専門店と呼べる場所じゃない」と日々感じていて、親父の話を受けた時「専門店を無くすのはもったいない」と強く思ったんだよね。
それで、実家の模型専門店を自分の手で存続させるために、釧路に戻ることにしたんだ。

ー その内情はどんなものだったんですか?

自分で体験したことのないものを話している専門店や専門コーナーの販売員に違和感があって。使ったことがないものを勧めていたり、知識が浅いだけじゃなくて間違ってたり。お客様への情報がそこでは本物じゃなかったんだ。本物を知ってこその専門店であるべきだと思う。その意識は店の規模が大きくたって小さくたって関係ないんだ。

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今も続けるカメラマンの仕事

「価値破壊」を止めたい

店舗経営と模型創作の傍ら、子どもたちへ模型講習などを開いて体験の機会を出来るだけ設けている三宅さん。そこではテクニックではなくいかに丁寧に真剣にものを作るか、という「向き合い方」を伝える。

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ー 子供たちに伝えたいことはなんですか?

職人さんが長年努力して習得した技術で、丁寧に時間をかけてもの作りをすることに価値を感じているので、その「本物」の大事さや美しさを伝えていきたい。良いものも悪いものも知った上で選ぶのとでは大きな違いだからね。消費者がものを選ぶときの価値基準が「価格」に特化しすぎていることに、俺はずっと違和感を思っているんだ。

ー なるほど。模型を売るだけでなく、模型作りから得られる「本物とは何か」を感じて欲しいんですね。

そう。そう言うからにはまずは自分が手を動かしてやってみることは意識しているね。
模型は手間も時間もかかり、かなり非効率なものだけど、それが感じられる素晴らしいものだと思うんだ。

自分がまず模型のプロフェッショナルになり、本物を伝えられる知識とスキルを付ける。
店内のお客様からは「三宅さんは何を聞いても答えを返してくれる」「子どもにも丁寧」との声が上がる。
自分が慣れ親しんだ文化への危機感に対して、できることは、中に入って、 実体験して、自分が一番楽しみ、一人でも多くの人と共有すること。

三宅さんのとことん模型に向き合う生き方を見て、身の回りのものが、どんな人のどんな想いで作られているものなのか、知ってみたくなった。

三宅さんと出会うには?
ミヤケ模型
北海道釧路市北大通り13丁目(釧路駅前)
0154-22-2269
営業時間 平日AM10:00~PM8:00 / 日曜日AM10:00~PM7:00
mail hobbyshop_miyake@opal.plala.or.jp
HP http://www8.plala.or.jp/hobbyshop_miyake

ぼりの編集後記
boriミニ四駆イベントに行ってきました!会場では見たことも無い110mもの巨大コースが。その場で商品を購入でき、アドバイスを受けながら組立が出来るようになっています。
ミヤケ模型の常連さん、お子さん、そのご両親が一緒になってミニ四駆を走らせたり応援したり大騒ぎ。
その熱っぽい光景はとっても微笑ましく楽しい。年齢関係なく遊べるって本当にすごいですね。ぜひ皆さんもお気に入りの遊びをミヤケ模型で探してみて下さい!