2015-12
2015-12-282015年12月28日グローバル収穫祭ムービー完成!
先日開催したグローバル収穫祭の様子をまとめたムービー
参加者の皆さん、来場者の皆さんの生き生きとした笑顔あ
撮影・編集はプロカメラマンの安井葉子さん。
釧路に住んでいたこともあり、現在は東京を拠点にフリー
当日はわざわざ東京から来てくださいました!
グローバル収穫祭の様子はレポートにも詳しく載っていま
http://kusuro.com/
2015-12-262015年12月26日【終了】1/2 クスろう夜 –「地元が釧路」だけが共通点の人とまったりこってり呑もう–
※本イベントは無事終了しました!当日の様子はブログに載っていますので是非ご覧ください。
【今年もやります!正月おヒマなみなさんへ】
「地元が釧路」だけが共通点の人と、正月にまったりこってり呑もう!
2015年新春にも開催された、「クスろう夜」
正月早々、全く知らなかった方・知っていたけどゆっくり話したことがなかった方との新鮮なトークを楽しんでいただき、
参加者のみなさんはそこでの出会いが一年を通して様々なつながりを見せていたようです。
そこで、皆様の「行きたかった!」「またやって!」という心のお声を感じ取り、2016年ももちろん開催決定!
年末年始はいつも同じメンバー、いつも同じお店、いつもの釧路…
だけど、せっかく帰って来たんだから出会ったことのない人や、ふだんと違う人と過ごすのはいかがですか?
いつもとちょっと違う正月を一緒に楽しみましょう!
初対面大歓迎。
本当の地元が釧路でなくても、心の地元が釧路であればどなたでもOK!
あなたのご参加をお待ちしております。
<こんな方はぜひご参加ください>
・毎年釧路に帰って来ている地元ラバーさん
・ここ何年か帰ってなかったお久しぶりさん
・バイトが忙しいけど年末年始は釧路で癒されたかった苦学生さん
・滅多に会えない友達ともう会っちゃって、残りどう楽しんでいいかわからなくなっちゃった迷子さん
・大晦日飲んだくれたけどまだ飲んだくれたい飲んべえさん
・いつもと違う元旦を過ごしたいわくわくさん
・年末年始ひとり釧路で寂しいしょんぼりさん
————
<日時>
2015年1月2日(土)20:00 START
<会場>
さかまる末広店 https://goo.gl/maps/muTPuWaLWfn
北海道釧路市末広町4-8-1 セントラルビル2F
※会場の都合上、参加人数は【20名】を上限とさせていただきます
<会費>
¥3,500飲み放題フード付き
<申し込み・お問い合わせ方法>
いずれかの方法で、お名前とご連絡先をご明記の上ご連絡ください。
・メール:info@kusuro.com(クスろ港事務局)
・facebookイベントページ:https://www.facebook.com/events/1061603933879292/
※facebookで申し込みの方には別途確認のメールをお送りします
2015-12-222015年12月22日第4回クスろワークショップレポート
12/20の師走真っ只中、第4回となるクスろワークショップが開催されました。
その様子をご報告をします!
クスろワークショップとは?
クスろワークショップは、私たちクスろが様々な価値観の方と「釧路の魅力とは何か?」を
真剣に考え話し合う場を作りたいという思いから開催したもので、2014年度は全3回を開催しました。
「クスろワークショップ」を通して、「何かしたい」という気持ちから実際にアクションを起こすキッカケが作れれば良いなと思っています。
【第4回 テーマ】
ゴー!ゴー!ニセンニジュウゴー! −2025年の「この街」ってどうなってる?
「2025年 こうなって欲しい釧路」を参加者のみなさんと話合う場です。
2020年の東京オリンピックに向けて、経済・技術の発展や外国人観光客の増加など、日本の盛り上がりは予想できる一方、
その5年後である2025年ってどうなっているのでしょうか?
と言っても小難しい話をするわけではありません!
参加者のみなさんが今行っている、またはこれから始めたいアクションが未来にどうつながるのかを話し合ったり、
共有する機会になればと思っています!
【ワークショップの流れ】
・全体概要説明
・参加者同士で自己紹介
・2025年のお話
・ゲストトーク
・対話1
・対話2
・クロージング
では詳細を見ていきましょう!
会場となったのはフィッシャマンズワーフMOOの2階にある観光交流コーナーです。
まずはクスろ代表の夏堀から、クスろの活動内容やこれまで行ったワークショップのご紹介をさせていただきました。
続いて、参加者同士で自己紹介です。
今やっていることや2025年は何をしていますか?を互いに語っていただきました。
ファシリテーターの黒井理恵さんから人口減少を中心とした2025年の話です。
必ず起こるであろう人口減少にあたって、幸せに生活できるようになるには・何をやって何をやらないのか…等を話してもらいました。
黒井さんは昨年14年間の東京暮らしを終え、地元である名寄
イノベーション・ファシリテーターとして企業、地域、学校、NPOなどのフィールドで年間40回以上のワークショップを企画・実施しており、
最近は名寄でコミュニティカフェの企画・運営にも携わっています。
この日は9時間かけて名寄からいらしてくださいました。(道東〜道北のアクセスの悪さがよくわかります…)
続いて、ゲストスピーカーの宿谷友美さんのお話です。
障害者支援を中心に自身のセンス
ご自身の活動の内容をご紹介いただくとともに、この活動を行うようになった経緯や当時の苦労などを話していただきました。
※宿谷さんは「ひとめぐり」でもご紹介しています。気なる方は要チェケラ!
そのあとは、参加者同士で感想を共有してもらいました。
こんな面白いことやっているって知らなかった!等の声も聞こえ、新たな発見もあったようです。
前半はこれにて終了!休憩を挟んで後半に進みます。
休憩の間、話してたお二人。
この日が初対面だったのですが、なんとお二人とも天然パーマだそうで、出会った瞬間から盛り上がっていました笑
(懇親会で繰り広げられた天パあるあるも大変興味深かったです)
さぁ、後半はテーブルを出してグループでの対話になります。
「2025年 あなたが幸せに暮らしている釧路は、どんな街ですか?」
この問いに対して、それぞれが思う「2025年」や「幸せ」について語っていただきました。
子供・結婚・集う場所・住民の誇り…興味深いワードが飛び交います。
グループを編成して再度同じ問いで対話をしてもらいます。
また同じグループに戻り、今度は以下の問いが出されます。
「2025年の幸せな釧路のために、必要なコトや人やモノはなんでしょう?」
いろんな意見が出る中、大事だと思った・盛り上がったキーワードを黄色く塗りつぶしてもらいました。
各グループ様々な角度から話をさせていてどれも興味深かったです。
ワークショップも終盤。最後のプログラムは「この指とまれ!ダイアログ」です。
これからやってみたいこと・活動の中で気になっている等、話したいテーマをあげてもらいます。
・釧路移住計画
・アート
・おもしろネーミング
・安心感を感じられる
・拠点づくり
の5つのテーマが出て、それぞれのテーマに分かれてみんなで話し合ってもらいました。
始めたいこと・今後やってみたいこと話がたくさん生まれ、中には「名前が決まりました!」「今日から釧路移住計画スタートします!」等、今後のステップにつながるコメントもいただきました。
最後にゲストの宿谷さんと夏堀から本日の感想を話してもらい、無事ワークショップは終了となりました。
締めは参加者・スタッフと記念撮影!
12月の忙しい時期にも関わらず、参加くださったみなさま本当にありがとうございました!
昨年のワークショップは現状の課題の共有や、その解決アイデアを中心としたワークショップを行ってきましたが、
今回は「未来」「対話」をキーワードにこれまでとはちょっと違う形で行ってみました。
初めてのことにスタッフはちょっと不安もあったのですが、次々と変化する場の雰囲気・飛び交う面白いキーワード・生まれていく話にずっとワクワクしていました!
参加者のアンケートからは、「新たな気づきがあった」「学びがあった」の声がとにかく多く、参加者のほぼ全員が「まちづくりへの関心が高まった」と回答してくださっています。
これからもいろんな形で、私たちも挑戦しながら、みなさんと意見を飛び交わせる場を作っていきたいと思ってますので、
引き続きどうぞよろしくお願いいたします!
昨年のワークショップの様子は以下からご覧いただけます。
第1回:自分らしい釧路お出迎えスタイルを考える(2014/9/21)
→いろいろなお出迎えの方法を知り、釧路の観光を自分目線で考える
レポートはコチラからご覧ください!
第2回:こんな釧路だったらイヤだ(2014/12/13)
→最悪なシナリオから考える、理想の街ってなんだろう?
レポートはコチラからご覧ください!
第3回:クロシロクシロ(2015/2/22)
→私たちが実現したい「これからのクシロ」にクロシロ判定を!
レポートはコチラからご覧ください!
2015-12-192015年12月19日ユーモアと情熱で障がい者を支援するアートと福祉のディレクター
宿谷友美
釧路市出身 釧路市在住
本格的に東京に住むことを念頭に釧路に一時帰省した折、短期間所属していた広告デザイン会社の仕事にのめり込み、再び地元での生活をスタート。
仕事で関わった福祉イベントの企画運営をきっかけに、障がい者支援の世界に飛び込むことに。
ファッション・アート・音楽・文学をこよなく愛する感動屋さん。
色とりどりのアート作品とキラキラの照明、色や柄を部屋に合わせた印象的な壁紙。
まるでギャラリーのようなエントランスだが、ここ「シッポファーレ!」は複合的な障がい福祉事業所である。
「福祉」や「障がい」と聞いて多くの人が連想する「難しい」「かわいそう」「大変そう」といったネガティブなイメージとは懸け離れたこの空間では、
デザインルーム、カフェ、雑貨店を行っている。この不思議な空間・施設運営をプロデュースする宿谷友美さんの裏側に迫った。
障がいの有無にとらわれないデザイン事務所
宿谷さんは「NPO法人 和(なごみ)」の理事を務める。
「和」は大きく分けて介護と障がい福祉の2部門からなり、宿谷さんが受け持つのは障がい福祉部門。
釧路市内には6つの施設があり主な活動の拠点となっているのが、「シッポファーレ!」である。
ー 「シッポファーレ!」はどんな施設ですか?
障がい者就労支援事業所です。障がいを持った方にお仕事をしてもらいながら社会復帰してもらうことを目的にした施設です。
シッポファーレ!は、広告デザイン部門と、ショップ販売カフェ部門※、
フリースクールなど、『生きにくさ』を抱えた子ども達のよりどころにもなっています。
※ショップ販売カフェ部門:シッポファーレ!に併設された「シッポカフェ」は喫茶軽食パン販売、「人生ここにあり商店」は洋服なども置く雑貨屋。
共に、宿谷さんが内装やインテリアも考え、商品買付けも行っている。
ー 色々な機能をお持ちなんですね。その中で宿谷さんはどういったお仕事をされていますか?
私は「和」の理事で、ここの施設長でもあるので、障がい福祉に関わるすべての部門の管理をしています。
理事長は好きにやっていいと任せてくれているので、そうしています笑
ー 事務所もカフェも雑貨屋も本当に色鮮やかな空間ですよね
自分がカワイイ!と思うのや素敵な雑貨に囲まれていると元気になるので、障がい者の皆さんもかっこよく仕事をしたいだろうなと思って。
デザインとか、そういう横文字の仕事がいいかなと。
カフェや雑貨店内も可愛くして、おしゃれをしてもらって。
そんな場所で仕事ができたら嬉しいだろうなと思ったので、見た目を変わった感じにしました。
ー 広告デザイン部門があるのは興味深いですね
もともと私は広告屋で、忙しい時にパソコンが得意そうな人に仕事を手伝ってもらっていたのがきっかけなんですよね。
広告の仕事って確かにセンスや技術も重要なんだけど、操作を覚えれば仕事にしやすい。
仕事になるだけじゃなくて、例えば手に麻痺や障がいがある人はキーボードを操作することがリハビリになって、症状が改善したりして。
なんじゃこりゃと。こんな良い事があるなら面白いなと思って。
ー これまでにどんなお仕事がありましたか?
最近ではJAL、ANA、AIRDOの機内に置かれる小冊子をシッポファーレ!で作らせてもらったりとか。
大きな仕事も少しづつ来るようになってきました。
大変な仕事だったけど、そんなことを乗り越えながら、確実に成長を遂げてますね。
ー デザインってけっこう難しい作業もあると思うんですが、そこはどうでしたか?
自分が今までの仕事をしてきて、広告って締め切りがあるし、寝なくてもやらなきゃいけないって思ってやってきたから、
時間が迫っているのに思うように仕事を進められないことにいつもイライラしていました。
仕事がしたくて通っているのに仕事をしない。その事が理解出来ず、よくぶつかっていました。
でも、そんな中でも彼ら、彼女達は自分のことをさておいて、私のことを心配したり、ものすごく考え方が純粋だったりとか、
腹も立つんだけどなぜか癒されるなぁって印象だったんですよ。
そのあたりから、これは一体なんだろう?なんなんだろうって私も知りたくなって勉強し始めて、それぞれの症状と特性がわかってきたら、
関わり方がわかってどんどん楽しくなってきました。
やりたいことを目指して東京へ
幼少期から編集や広告の仕事に憧れていた。釧路は好きだが、自分のやりたい仕事は釧路には無いと思っていた。
偶然始めることになったお芝居も、自身が「暗黒時代」と呼ぶ高校卒業後の1年間を物語るような不条理な難しい内容ばかりだったそう。
宿谷さんは、そこで自分自身と向き合い、本当にやりたいことは何かを追い求めていった。
ー 学生時代から広告に興味があったのですか?
子供の頃から雑誌の編集とか、マスコミ関係の仕事がしたかったんですよ。
だからずっとアルバム編集員とか、高校生は新聞局だったの!
入学当時、同じクラスにすんごいヘビメタの女の子がいて、その子も偶然新聞局にやりたい子だったの。
新聞局に志願者が入局したのが10年ぶりだっただけでなく、見た目が派手な二人ってことで先生に驚かれたなぁ笑
先輩方はみんな頼まれて仕方なくやってた人達だったんですよ。
ー 卒業後の進路はどうなったのでしょうか?
みんな進学したり、地元の割と良い会社に就職したりしたんだけど、
私は勉強したくなかったから、実践でいこう!と思って、興味のあった店舗デザインとディスプレイの会社に勤めたんだけど、一ヶ月で退職笑
その時はしばらく自暴自棄の暗黒時代。家に引きこもってました。
ー 意外ですね。そんな時があったんですか?
そう。それで安直に、そうだ安定だ!公務員になろう!とか思って笑
そんな軽い気持ちなので就職試験は10社以上落ちましたよね。
でもね、あまりに落ちすぎて最後の会社に「…なぜですかー!」って食いついたことがあったんです。
そしたら、「あなた面白そうだけど、もっと違うところで生かしたほうがいいんじゃない?本当はこんな仕事したくないでしょ」って。
給料とかボーナスが良い事務の仕事ばっかり選んでたこと見抜かれたの。
面接には、水色とかオレンジのスーツを着て行ってたからなぁ笑
ー それは堅い職場だと厳しいかもしれませんね笑
その暗黒時代に、たまに絵のモデルをしていて。
ある時指定された場所が老舗のジャズ喫茶だったの。
モデルが終わってマスターと話していた時に、常連風のスーツの女性が入ってきて、
「マスターどうしよう〜明日からお芝居の公演なのに受付の子がいないの〜」って困っていて。
そしたらマスターが私を見て「やれば?」って笑ったの。
私は暇だから「やります」って即答。
ー なかなか不思議なシチュエーションですね
3日間公演を手伝って、最終日の打ち上げでね、いきなり「入団おめでとうー!」って劇団の人達がみんなで囲んできたの。
私お芝居やるなんて一言も言ってないのに!笑
でも結局、流れで入団して、そのあとすぐの公演では私主演だったんですよね笑
それからのめり込んで3年くらいやったかなあ。
でも広告の仕事諦められなくて、「私やっぱり夢があるから東京に行きます!」って言って3ヶ月休ませてもらったんです。
ー お芝居から東京ですか
私のやりたい仕事は釧路に無いと思ってたから。
東京に行くと案外、単発のバイトでも製作やデザインの仕事が結構あって。
憧れていたスーパーのレジのバイトとかもしてました笑。毎日首都圏で遊んだりもして。
仕事も友達も見つかってやっていけそうだなって感じたから、お金を貯めたり色々身辺整理してまた来るわーっと言って、一旦釧路に帰ったんですよね。
ー 釧路に戻ったんですね、そこから本格的に東京に住む準備を始めたんですね
そう思ってました。
まず「マッキントッシュ(mac)」を覚えなきゃいけないということが東京にいってわかったので笑、macが学べる会社を探して、
印刷会社のMacオペレーターを始めました。その会社で昼はパソコン仕事、夜はホテルで宴会のバイト。
休みもなかったけど自分がやりたいことやってたから楽しかったなぁ。
ー お金が貯まり、そろそろ東京に、という気になってきた頃でしょうか?
ええと…実は釧路での仕事が面白くなってきたので、釧路にもう少し住もうと思って、正社員雇用の会社を探しはじめました。
そしてあっさり受かったのが、小さい広告デザイン会社。
面接の時に「デザインと営業半々にします、あなたきっと営業向いてるから」って言われて。
私は「え!営業なんて嫌だ!」って思いました笑
でも本当に小さい会社だったので仕事をとってくるだけではなく、プラン作成も、デザインも。
時には看板を自分で作って、取り付けまでも自分でやるという。
全ての工程に関われたのが面白くて、楽しくなっちゃって。
ー またしても楽しくなってきたんですね
はい笑 最初は怒られてばかりで毎日のように泣いていました。
失敗も多く、なかなか自信が持てるようにならなかった。
でも少しづつお客さんの期待に応えられる仕事が
出来るようになると、嬉しい事に『どう思う?』と私の意見を聞いてくれるようになった。
信頼関係が築けてきたんですね。仕事は本当にお客さんに育ててもらいました。
チャレンジ隊とゴマサーカス
釧路に戻り、広告デザイン会社に勤めていたが、25歳の時に同僚と企画制作会社「有限会社ピッパラ」を設立。
この時自身の辞書にまだ福祉という文字はなかった。
しかしあるイベントの企画運営を任されたことがきっかけで、プライベートの時間を使って、まちづくり・福祉・自然系のボランティアを行う
「ボランティアネットワークチャレンジ隊」を立ち上げることになった。
ー どういったことがきっかけで福祉の活動を始めることになったんですか?
市や道、社会福祉協議会の方が多く入っている実行委員会の主催で24時間の福祉イベントが計画されていたんですけど、
その実行委員に広告担当として参加することになったんです。
そのうちの一人である女性新聞記者さんが「シルバーファッションショー」をやりたいと言ったので、
一緒に企画をすることになりました。
ー 具体的にはどんなことをされたんですか?
施設のお年寄りをモデルに選抜して、車椅子の方に合わせた洋服を地元の高校生と企画したり、
大学生がおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にヘアメイクして、ペアでランウェイを歩いてもらったり。
とても大盛況でした。
でも後日そのVTRを見た施設に残っていたお年寄りから「私も綺麗にしてもらいたかったな」って羨ましく残念に思ったという話を聞いたんです。
ー 確かに自分も体験してみたいと思いますよね
そう、そんなのって福祉でもなんでもないなって反省したんです。
じゃあ今度から私たちが出前しよう!と思って「お化粧隊」というのを作って、毎週プライベートの時間でお年寄りの施設に回ることにしました。
痴呆の方も笑顔になってぐーっと背筋が伸びて昔のことを楽しくおしゃべりし始めたり、うれしそうに自分で鏡を覗き込んだり。
目の前で元気になっていく手応えを感じて、やめられなくなっていきましたね。
これがきっかけで団体を立ち上げ、様々なボランティア活動を始めることになったんです。
ー 障がい者の方との出会いはどんなものでしたか?
当時、ある広告会社の仕事でフリーペーパーに市内の福祉施設を自分で体験して紹介する記事を書いていたんですけど、
その取材の中である障がいの子と運命の出会いをしました。
彼女が私にパウンドケーキの焼き方を教えてくれた時のこと。すごく優しくしてくれて。
焼きあがるのを待っていると勢い良く部屋に入ってきて、「大変!友美ちゃんのパウンドケーキがすごく綺麗に焼けてる!」って言ったんです。
実はね、彼女の作ったのはしぼんでうまく焼けてなかったんですよ。
それなのに、どうしてこの子は私のがうまく焼けてることで喜んで泣いてるんだろうって、なんて純粋なんだろうって感動して、一緒に泣いたんですよ。
その時に「今はしがない広告屋だけど、いつかこの人達とずっと一緒に居たい」って思っちゃったんですよね。
当時はどうやってやるのかまったくわからなかったですけど。
ー 素晴らしい出会いですね。その後、本格的に障がいを抱える方と関わるようになったのはいつからでしょうか?
うちの会社の社長が、病院からの依頼で患者さん向けに就労支援の講座をやっていたんです。
就労意欲はあっても彼らが病気と闘いながら働く事はすごく難しい。
長い闘病の日々は履歴書を白紙にしてしまう。まずは精神科で出会った人たち数名と「ゴマサーカスプロジェクト」という団体を始めました。
地域の人の役に立つことをするというのがテーマ。
自分と同じように、困っている人を助けたいという思いがみんな強かったんです。
ー どのようなことをされていたんですか?
最初は独居老人のお宅に「困ったことないですか?」って一軒一軒聞いて回ったり。
掃除・電気交換・大型家具の荷下ろし・ゴミ出し・除雪…少しずつ対価もいただいてやってました。
そんなことをしているうちにメンバーがどんどん増えて、彼らにとられる時間が増えて、
本業であるはずのデザインの仕事との両立が難しくなっていきました。
それであらためて「島屋ゴマサーカス」という事業所を正式に作ったんです。
それが、今ある6つの施設全ての基盤となっていますね。
感動がエネルギー
洋服屋のバイヤーの父親と、音楽好きの母親。
その環境下でファッションやアート、文学や音楽に幼少期から関心があったと聞けば、都会に憧れる想像がつきがちだが、そうではないらしい。
昔から釧路は大好きな街で、あらゆることを独自のメガネで見つめては、その時生まれたワクワクをエネルギーに変えてきたようだ。
ー 宿谷さんにとって釧路ってどんな街でしたか?
私は宮沢賢治が好きで、このまちを「銀河鉄道の夜」の世界みたいだなってずっと思ってたんですよ。
物語に出てくる海岸がここ、とか丘はあそことか、あの建物がこれ、とか。
放課後の喫茶店も駅前通りも海岸も。友達と遊び方や穴場をいつも探してましたね。
流星群が来れば、友達と博物館の庭に寝袋持って行って、寝っ転がって見たりとかしてね。
釧路ってこんなに面白いんだなー素敵だなーって、今も変わらず思ってますよ。
ー どこからそのエネルギーは生まれてくるのでしょうか?
私、絵を描いたり物作りはぜんぜん得意じゃないんですけど、色々と見るのが好きなの。
「ああ!」って感動したことが私の原動力なんですよね。それをいつか自分も何かで使いたいって思うの。
たくさんの自分へのインプットは、全部出すためのものだと考えてます。
例えば、東京の中野区は美術館がないのに、工夫して街や商店街を上手に使って障がい者アートを展示していた。
たまたまそれを見たのがきっかけで、今年釧路でも障がい者アートのイベントをやらせてもらいました。
ー そういったものを見て、東京でまた暮らしたいという気持ちは今はなくなったんですか?
今はないですね。広告もデザインも編集も服屋もやりたかったこと全部できてる!って気づいて。
若い時はわからなかったけど、やりたいことって場所じゃないんだってことを学びました。
やりたいって思ったら周りの人にじゃんじゃん言えばいい。あとは行動。ただそれだけなんですね。
そしたら助けて育ててくれる人が現れるんですよ。だから釧路でもできるんです。
ー 今後釧路でやっていきたいことはなんでしょうか?
私はこんなに自然豊かで、人も素晴らしい、食べ物も美味しい、美術館も3つあるし、印象的な建造物が沢山あるし、
資源がゴロゴロ転がってるまちは他にないと思ってるので、もっと釧路が褒められるべきだと思ってるんですよね。
障がいの有無に関わらず釧路出身の写真家さんや作家さん達も中心にした、アートのまちにしていきたいと思っています。
それから、障がいを持った人たちにももっと安心して働けて、かっこいい仕事を出来る場所を作ることが私たちの役割だと思っています。
デザインの仕事を出来る人も増やしていきたいと思っていますね。
宿谷さんが障がい者の方々と深く関わるようになった「ゴマサーカス」の名前の由来を聞くと、「ゴマ」はゴマのように小さい私たちという意味、
「サーカス」はサーカス一座みたいな愉快な仲間達が個性豊かに過ごしている様子を表しているのだそう。
最初は障がい者の方々を理解できずに苦しんだことも、ご自身がストレスで体調不良になったことも多々あったそうだ。
だが長年に渡り、広告デザインもボランティアも同時に追い求めてきた情熱。
それによって多くの障がい者と生の関わりをし続けてきた彼女にしか作ることができない立ち位置を確立した。
健常者や障がい者という垣根を越えて、いいものはいい、素敵なものは素敵と、はっきりと言える。
そんな風にまた、彼女の中で新たな感動が生まれていってほしい。
※現在、宿谷さんはシッポファーレ!を退職し、フリーランスとして活動されています。(2016年9月現在)
宿谷さんと出会うには?
宿谷さんのfacebookページにアクセス!
https://www.facebook.com/paradisetomomi?fref=ts
宿谷さんに出会える!『クスろワークショップ』
ゲストスピーカーとして宿谷さんにご参加いただくことになりました!
「クスろワークショップ」は、釧路を訪れた人も、その人をお出迎えする私たちも、ともにクスクス笑顔で過ごせるまちになるためのワークショップです。
今回のワークショップは「ゴー!ゴー!ニセンニジュウゴー!」と題し、
「2025年 こうなって欲しい釧路」を参加者のみなさんで話合う場にしたいと思います。
日時は12月20日(日)13:30 – 16:30
会場はフィッシャーマンズワーフMOO 2階(中央)観光交流コーナー
興味のある方はぜひお名前とご連絡先をご明記の上、ご連絡くださいね!
クスろ事務局:info@kusuro.com

宿谷さんのセンス炸裂な買付けによる雑貨、洋服、アクセサリーからムーミングッズや世界のお守りまで様々な珍しいものに囲まれています。
取材に同行した学生男子も「ここいいっすね!」とときめいているご様子。
スタッフさんが丁寧に対応してくれるのでプレゼント探しにもどうぞ!
2015-12-062015年12月6日光陽小学校授業 レポート
晴れやかな秋晴れが続いていた、10月末から11月中旬。
この頃実は、数回に渡り、光陽小学校4年生の総合学習の授業にお邪魔していました。
釧路市立光陽小学校は児童数324人、釧路市の中央あたりに位置する小学校です。
今回はその授業の様子をお届けします!
キンコンカンコン…ベルが鳴りました。
4年生の総合学習では、「地域活性」をテーマとし、
①柳町公園
②光陽
③愛国商店街
④町内会
⑤釧路
という5つのグループに分かれて自分たちにできることを探すという取り組みを行っています。
「釧路」グループを担当することになった11名の生徒さんに
釧路で活動する身近な団体の例として、クスろ代表の夏堀がインタビューを受ける機会をいただけました。
活動の動機となっているクスろメンバーのパーソナルな部分をざっくりとお話しし、
今年度行ったイベント、ブイブイマーケットについて具体的に説明をさせていただきました。
クスろの活動のポイントは、「地域活性」と真面目に壮大に考えているのではなく、
「自分たちの好きなことをしている」こと。
インタビューでは、生徒さん達から「私たちにも釧路で何かできますか?」という直球な質問をいただき、
「やりたいなら、なんでもできると思います!」とお答えしました。
そのやりとりの中で、「何かやってみたい!」と目を輝かせていく皆さん。
「釧路」を盛り上げたいという光陽小学校の皆さんのアイデアの実践の場のひとつとなれば、と思い
「今度のイベントにみんなのお店を出してみない?」
とお誘いをさせていただきました。
そうして、11月14日(土)に開催したグローバル収穫祭にご参加いただく運びとなり、
準備の期間がスタートしたのです。
<準備期間>
イベントまでの準備期間として、総合学習の5時間分を一緒に過ごさせていただくことに。
1時間目 アイデア出し:出店アイデアを個々人で出す
「釧路らしさ」と「自分の好きなこと」を掛け算して、どんなお店を出すか考えてもらいました。
「釧路らしさ」には、気候や自然だけでなく、「グラタンが美味しい」「夜のまちがキラキラしてきれい」など実体験をからくるものがあり、面白いなあと感じました。
また、「釧路が好きな人が多い」「釧路の人は優しい」という意見も。
お子さんたちの目にはそう映っているのだなあと、考えさせられるものばかりでした。
「好きなこと」は、スポーツ、食べ物、習いごと、季節についてなどとにかくたくさん。
「家族」や「学校」を挙げている生徒さんが多かったのが印象的でした。
2時間目 テーマ決め:実際に出店する2店舗を決定。テーマやアピールポイントなどを考える
皆さんから出た個性豊かな15の出店アイデア。
投票の末、「夕日のまとあて」「釧路の動物のクッキー」の二つのお店を出すことに決まりました。
釧路らしさを生かせ、お客様に楽しんでもらえることをポイントしました。
3〜5時間目 具体化:どんなものを、どのくらい、どうやる?
11人の皆さんに二つに分かれてもらい、それぞれのお店の内容を具体的にしていきました。
<「釧路の動物のクッキー」のグループ>
紙粘土をクッキー生地に見立ててクッキーの形のアイデアを考えました。
生徒さんの一人から「お客さんにお礼のカードあったらよくない?!」という意見に全会が賛成。
サンキューカードを一枚一枚丁寧に書いていきました。
<「夕日のまとあて」のグループ>
ダンボールを使ってまとあてを作ることに。
まとあてのダンボールに色塗り。
「こんな時どうする?」と様々なケースを想定してルールを考え、必要な材料や道具も次々と発想してくれました。
<イベント前日>
いよいよ、前日となりました。
まとあて、クッキーグループ関係なく、一緒にクッキーを作ることになりました。
生地を伸ばします。今回はバターとココア味の2種類。
みなさんの頑張りにより、無事完成!
お客様に楽しんでいただけるでしょうか?
<グローバル収穫祭当日>
そして迎えたイベント当日!
(詳細が気になる方はこちらをごらんください『グローバル収穫祭レポート』)
こちらが、まとあてグループの皆さん。
担当の学生と自己紹介。「今日1日よろしくお願いしまーす!」
お客様には光陽小学校のお友達もたくさんいらしてくれました。かなり盛り上がっています!
ここで、まとあてグループのひと工夫をご紹介します。
イベント会場はメインが1階、まとあて会場は2階と階が分かれていたため、
お子さんたちが「案内のポスター作る!」と、このポスターを考案。
お客様に親切な案内を手作りしてくれました。
お手製のクッキーに、準備していたサンキューカードも付けました。
「いらっしゃいませー!」お客様に元気に接客。いくつも購入される方も多くいました。
ここで、皆さんのひと工夫を紹介します。
なんと、「クッキーどうですかー?!」と、会場中を練り歩き、大きな声で呼びかけを始めたのです!
そんなイベントをあらゆる形で盛り上げてくれた皆さんに、イベントに参加してくださった中国人の李さんから
餃子作り体験のサプライズプレゼント!皆さん、特別な体験ができましたね!
そして、イベント終了後。
会場撤収も自主的に手伝ってくれました。
働き者の皆さん、ありがとうございます!
最後に集合写真。
「楽しかったー!」「また、来年やるんでしょ?!楽しみにしてるー!」と満足いただけたようでした。
これからも釧路で自分の好きなことをしつつ、一緒に楽しんでいく小さな仲間ができたように思います。
皆さん本当におつかれさまでした〜!
春名先生、糠谷先生をはじめとする光陽小学校の皆さん、父兄の皆さん、ご協力いただきましてありがとうございました。
至らない点も多々あったかと思いますが、この場を借りてお礼申し上げます。
どうぞ今後とも我々クスろをよろしくお願いします!