「ひと」めぐり

道東唯一の治療法!心と身体をほぐすアーユルヴェーダ師

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ティラック ピーリス

スリランカ出身 釧路市在住

単身日本に渡り、東京時代にイタリア料理店でシェフを務めるうち、日本永住を決める。
奥様のあきさんに出会ったのち、茨城県へ。
東日本大震災を機に、あきさんの実家がある北海道・標津町に一家で移住。
自身の怪我や家族の将来を考え釧路市へ移り、2015年からアーユルヴェーダ「ひだまり」を営む。

緩やかなカーブを帯びた通りに面した一角。
ここに、疲れた身体と心も癒してくれるスリランカ伝統の治療院があると聞きつけた。
建物の外にはスリランカの国旗が飾られ、扉を開ければ中では、暖かい笑顔が印象的なピーリスさんご夫婦が迎え入れてくれた。

アーユルヴェーダは教え、学び、受け継がれていくもの

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ピーリスさんはアーユルヴェーダ「ひだまり」にて、オイルやハーブを使った施術を行っている。
アーユルヴェーダとは、豊富なオイルやハーブを用い、オールハンドで行われるインドやスリランカの伝統的な治療法。
薬や手術で治すのではなく、自分の「生き方」そのものを見つめ直し、心身の不調・食生活の不具合を総合的に改善するという考え方のもと、
世界中の人々の心と心身の健康を支えている。

ー ピーリスさんのアーユルヴェーダとの出会いについておしえて下さい

11歳の時に関節のリウマチになり、アーユルヴェーダの治療院にお世話になりました。
スリランカでは国の運営しているアーユルヴェーダ施設は施術費が無料なので、家族が多く治療にあまりお金が割けない我が家は助かりました。

ー 無料とは驚きですね!

そうです。昔から引き継がれている伝統的な治療法なので、スリランカでは病院だけでなく、家庭内でも身近に行われるんです。
施術に使うハーブやオイルの力と、その人本来の持つ自然治癒力が組み合わされて初めてアーユルヴェーダの効果が出てきます。

ー 自然治癒力と融合させる治療とは興味深いですね

例えば腰痛持ちの患者さんが居たとします。
今、私がオイルで治療をしたとしても、その人がすぐに外へ行って雪かきをしたり、重いものを運ぶ仕事をしたら、
アーユルヴェーダの効果が出ないんです。
施術を受けたその日だけでも安静にしなきゃいけないんです。

ー しっかり休むことも大切ということですか?

そう、休んで治すの。
痛みがある部位を施術する時はよくオイルやハーブを使ってマッサージして、患部の中までホカホカにするんですよ。
そこから、身体の中で自分の力による治療が始まります。
例えば膝の軟骨が磨り減ってしまっている患者さんなら、身体の中で軟骨の生成が始まるのです。
だから、患者さんには治療についてご理解をいただいてから施術をするようにしています。

ー それがピーリスさんのこだわりでもあり、アーユルヴェーダというものなんですか?

そうですね。あとは患者さんの体質を知ることも重要なので、施術の前に問診票を使いながら聞いています。

ー その問診票はどんな内容なんですか?

ご本人の身体の特徴や、性格を問う質問をします。
アーユルヴェーダでは、ワータ(インド読みでは「ヴァータ」)(風)、ピッタ(火)、カパ(水)と呼ばれる
3つのドーシャ(自然法則から導かれた生命原理)によって体が支えられていると考えています。
数十種類の質問の答えを元に、ワータ・ピッタ・カパのバランスを確認します。

ー その人によって施術の方法も変わってくるということですか?

そう。その人の体質を見てオイルを選びます。
オイルにもホカホカするオイル、冷やすオイルとか色々あるんですよ。
冷える人ならホカホカするオイルを使って、その油を身体の中に浸透させていくわけなんです。
食事や生活習慣も、その人ごとに適したものを説明します。

ー なるほど。ちなみに「ひだまり」というお店の名前の由来を教えていただけますか?

「ひだまり」はね、家族にお父さんの手って太陽みたいであったかいってよく言われていて、
寒い日には子供達が私の手を握ってきたりするんですよ。
みんながお腹が痛いとか、手が痛いとか言うと、私がさすったりもしますし。
それをヒントに「太陽」のいろんな言い方を探して、最後に「ひだまり」にしました。

ーお仕事での奥様との役割分担はどうなさってるんですか?

私があまりわからないパソコンを使うような経理関係やメールのやりとり、電話の受付を妻のあきがしてくれていますね。
そのおかげで私は患者さんの問診や施術に専念できています。

ーそれは安心ですね!奥様はどのような存在ですか?

今まで18年間パートナーとしてやってきて、家庭でも仕事場でも一緒にいるけど、やっぱりこの先も一緒にいないとね。
スリランカ人は、死ぬまで一緒にいるって考え方なんです。

ー素晴らしい関係ですね。でも国も文化も違うことでストレスを感じることはなかったですか?

いや、ありますよ。でも主に私の日本語に関してかな。
喋ることはできるんだけど、読めないというのがストレスかな。今でも勉強してますね。

ーあきさんとはうまくいっていないことがなさそうですよね。喧嘩とか嫌なこととか

んー髪の毛長くして欲しいんだけど、いつの間にか切ってきちゃうんだよね。

ーそれは好みですよね笑

まあね!笑 喧嘩はしないよ!

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仲の良いおしゃべりが途切れないピーリスさんとあきさん(左)とアーユルヴェーダの神様「ガネーシャ」とオイルポット(右)

心に残っていた震災の記憶

スリランカと日本でピーリスさんが体験した大きな震災。
その2つがリンクし、思いがけず北海道という地に根を下ろすことになったそうだ。

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ー スリランカはどういった国なのでしょうか?

スリランカは、インドの下にあって暖かい島国です。
ただ、スマトラ沖地震では結構多くの人が亡くなったんです。

※スマトラ島沖地震:2014年12月にインドネシア西部のスマトラ島北西沖で発生した地震で、スリランカでは35322人が亡くなった。

ー 悲惨な震災でしたね

そうですね。東日本大震災の時は茨城県に住んでいました。
やっぱりあれは忘れられないですね。
あの日はあきも一番下の娘を出産間近だったし、家族を養うという責任を改めて深く考えるきっかけになりました。
出産を終えて1週間後にあきの実家がある北海道に来ることにしたんです。

ー その時に北海道に戻ってくることを決めたんですか?

いえ、その時は震災の混乱が収まるまで様子を見ようと思っていました。
でも、しばらく経ってもグラウンドで遊んではいけないとか、色んな制限が子ども達にとってストレスになるだろうという心配は消えませんでした。

ー それで、一時的な滞在から移住をすることになったんですね

そうですね。最初は標津町の方にいました。
でも、来て一年で子ども達が通う学校の閉校が決まったんです。
その時に彼らはまた、お友達とお別れするショックを受けたんですよね。
一番上の息子の高校を決める時に、「野球をやりたいから釧路市内の高校に行きたい」って本人が言ったので、
みんなで釧路に腰を据えて暮らそうということに決めたんです。
また、釧路に住んでいたあきのおばあちゃんが90歳を越える高齢で、食事や医療関係が心配だったということも
移住を決めた大きな理由の一つですね。

標津町:北海道東部、根室海峡沿岸の中央部に位置する町。漁業では日本有数のサケ漁獲量を誇る。

ー その頃もピーリスさんはアーユルヴェーダをされていたんですか?

いえ。あきのお母さんが酪農業を営む牧場で、私は食品関係で商品開発をやっていました。
元々料理人だったこともあって料理教室もしていましたよ。

ー 料理人だったんですか!?

そうです!それまでは料理の仕事がほとんどでしたね。

ー そもそも日本に来たのはどんな理由があったんですか?

20歳あたりの頃、私はスリランカの家の近くのお寺で日本語を勉強していたんですよ。
そこの日本語を教えてくれた先生が「将来は何するんだい?」って聞くから、私は「イタリアに行って調理人になりたい」って言ったんです。
「日本語はなんで勉強しているの?」って言われて、「日本語に興味があるからです」って言ったら、
「じゃあ、せっかく日本語勉強しているんだったら、日本に行こう!日本にもイタリア料理のレストランはたくさんあるよ」
って勧めてくれたんです。

ー その先生がいなかったら日本に来てはいなかったんですね

そうそう。私が日本に来た頃は、給料がスリランカの10倍くらいだったんですよ。
逆に飛行機は、18万〜20万円ほど。それはスリランカにしたら1年分くらいの給料です。
それをお兄ちゃんとお母さんが「行きなさい」と言ってくれ、なんとかお金を工面してくれたので、日本に渡ることができました。
東京の観光をしたり、アルバイトをしていくと日本での暮らしが面白くなって、日本はいい国だなと思いました。
その後、何回か東京とスリランカを行き来しましたが飛行機代や生活費もかかるので、スリランカに帰ることはやめました。

ー 奥様のあきさんとはどこで出会ったんですか?

18年前、先輩の誘いで働くことになった吉祥寺のレストランに厨房スタッフに、既にあきがいたんですよ。
まだ会う前に他のスタッフ達から「あきちゃんは恐い子だよ!」って冗談で言われてたんだけど笑、
実際会うとそんなことなくて、話が合ってすぐ仲良くなったよ。
プリティだったね笑 それからずっと仲良しなままだね。

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茨城県にいた頃のピーリスさん(左)とレストランの厨房では自慢の腕をふるった(右)

膝がきっかけで始めたアーユルヴェーダ

東京へ来たばかりの頃は、夢だった料理人として働き、人生のパートナーとなるあきさんと職場で出会い結婚した。
その後、あきさんと築いた家族と、スリランカの家族の両方に支えられ、人生の転機となる膝の怪我をアーユルヴェーダによって乗り越えたそうだ。

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ー 標津町では、アーユルヴェーダを始めるまでのお仕事はどんなことをされていたんですか?

標津町の牧場で商品開発の仕事をしながら、もう一つ仕事をやっていたんですよ。
私、大型一種の免許を持っているので、牛のエサ運びをしていました。
大型トラックで何回も降りたり登ったりしていたので、やっぱり足に良くなかったんですよね。
倉庫の中もいつもとても寒かったので、温暖なスリランカで生まれ育った私には寒さが一番厳しかったです。
それから過去に、茨城時代の同僚とスキー場に行った時に膝の靭帯を切った経験があり、完治はしていたはずなんですけど、
知らない間に悪化していたみたいで。

ー 仕事が原因で膝を痛めてしまったんですか?

そうです。足を下に置くと電気が流れるぐらい痛みが来て、水が溜まるようになってしまったので仕事を辞めることにしました。
病院では「このままだと軟骨がなくなり、人工関節にしなくてはいけない。でも今はできないから55歳まで様子を見ましょう。」と言われてしまって。
働くことも出来ないし、痛みもひどいからどうしようと思いました。
それでスリランカの家族に電話したら「スリランカに帰ってきなさい」と言われたんです。

ー それで日本では治療はせずに、スリランカで膝を治すことにしたんですね?

そう。アーユルヴェーダの治療をする為、スリランカに帰って3ヶ月入院しました。
日本からは車椅子で行ったんですよ!

ー 車椅子とは、渡航前には相当膝の調子も悪かったんですね

当そうなの。一番辛かったのは子どもを抱っこできないし、遊べないでしょ。
私は野球が好きなのに、キャッチボールできないでしょ。

ー ピーリスさんにとってご家族と離れることは辛かったですね

下の娘二人はまだ小さかったので、やっぱりその子達を残していくのは辛いですよね。
それに寂しがり屋なの笑。
でも子どもだって行ったり来たりできないしね。学校もあるし。
だからこそ、スリランカの先生にも「家族のためにちゃんと3ヶ月入院しなさい」って言われたんです。

ー そのご自身の治療の体験が、アーユルヴェーダを勉強するきっかけになったのでしょうか?

そうだね。私にとってアーユルヴェーダとは自分の命を助けてくれたものなんですよね。
11歳で無料のアーユルヴェーダで関節のリウマチを治してもらった時も、この膝の時も。
3ヶ月の入院生活を終えた後、日本で3ヶ月安静にしていました。
その間、アーユルヴェーダの修行を自分でもしてみたいと思うようになり、
家族に相談すると、「やってみたら?」とみんなが背中を押してくれました。

ーアーユルヴェーダを仕事にしていこうという思いはあったんでしょうか?

はい。日本の方にもアーユルヴェーダを伝えていきたいと思っていました。
それをスリランカの先生と相談したら「じゃあまた帰ってきなさい」って。
勉強してアーユルヴェーダの資格を得るためには、スリランカで修行を終えたあと、インドの学校で勉強しなくてはなりません。
インドには1人ではなく、スリランカの15人のグループで行ったんですけどね。
そのグループは、私以外はみんな病院の先生方だったんです。
スリランカではアーユルヴェーダの資格や免許という制度は近年までなかったんです。
代々受け継がれてアーユルヴェーダの診療所をしている人が多くて。
ただ、今は、テロの問題も解決して海外からの観光客相手にブームに乗ってアーユルヴェーダの看板をあげている
インチキみたいなものも出て来たりして、資格が必要になってきているんです。
それで、資格を取って日本に帰ってきてすぐに標津の自宅でアーユルヴェーダを始めました。

ー標津町でもされていたんですね。今の釧路のお店と同じようにされていたのですか?

自宅での施術に加え、訪問もしていました。
近場だけでなく、隣町にも通っていました。そこには3人ぐらいのお客さんがいて、半年続けて1週間に2回ぐらいだったかなあ。
その中の30代ぐらいの若い女性のお客さんは、腰椎狭窄症(ようついきょうさくしょう)でした。
腰から下半身までしびれが出ていて、病院では「これ以上しびれがひどくなったら手術だ」と言われていたようなんですが、
アーユルヴェーダで少しでもよくなれば、と訪問治療を始められました。
半年ほど続けられた頃、しびれもなくなり、腰痛もなくなってきたようです。
釧路市に移転した今でも一ヶ月に一回、ご家族と一緒に通われています。

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アーユルヴェーダにかかせない薬草やハーブ類(左)、修行時代に勉強したノート(右)

アーユルヴェーダ「ひだまり」の向かう先

アーユルヴェーダに対する感謝の念と、もっと多くの人に知ってほしいという熱い想い。
「ひだまり」の今とこれからについて伺った。

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ー 「ひだまり」をこれからどんなお店にしていきたいと考えていますか?

まず、釧路地域のみなさんに、アーユルヴェーダ「ひだまり」っていうのを誰に聞いてもどこに行ってもわかるように広めていきたいですね。
そのためには、アーユルヴェーダがどういうものなのかを商工会議所の方々やご近所の皆さんにお力を借りながら
色々なイベントをやっていければと考えています。

ー お店のことは勿論のこと、そもそもアーユルヴェーダを広めていきたいということでしょうか?

そうですね。
始める時から覚悟は決めていたんですけど、日本に馴染みのないアーユルヴェーダをやるのはすごく難しいと思います。
何年もかかるかもしれませんが、続けていきたいと思っています。
将来的にこの「ひだまり」は、長男と一緒にできたらなあと考えていますね。

ー 息子さんとですか!

はい。長男はやれるところまで野球をやったら、勉強してインドやスリランカへ行って資格を取り、
日本でアーユルヴェーダの仕事をしながら野球をしたいって言ってますね。

ー 親子で経営とは素敵ですね。アーユルヴェーダが多くの方に知ってもらえるといいですね

今は、まだこの治療院を始めたばかりなので介護施設でフットケア体験、市内の文化センターでハンドケア体験、初めての方限定のキャンペーンなどをして、まずは「知ってもらう」という活動に力を入れています。

ー そうなんですね。その他には何かやってらっしゃいますか?

アーユルヴェーダの食事会を開いています。
私は元々料理人をしていましたし、「アーユルヴェーダの料理」というのもあるので、
それも勉強していつか皆さんに食べてもらいたいと考えていました。
アーユルヴェーダ料理はスパイスが多いので、お客さんに体質アンケートに答えてもらって、バランスを整える食事を作っています。
お客さんの反応も良く、1ヶ月に1回違うメニューでやると言ったら、皆さん楽しみにしてくれていますね。

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アーユルヴェーダ料理セミナーでのランチプレート(左)、大切な家族(右)

スリランカのお父さんは、仕事が終わるとすぐに家へ帰るのだとピーリスさんが語ってくれた。
食事をするときは家族全員が席に着き、常におしゃべりをしながら、家族団欒の時を楽しむことが当たり前だという。
太陽のように、心も体も温かいピーリスさんは愛する家族には勿論のこと、誰にでも分け隔てなく、その温かい優しさを与えてくれる。
日出ずる国「日本」、そして夕焼けが有名なここ「釧路」に、スリランカ生まれの「太陽」の治療院ができた。
ピーリスさんの温かな手からじんわりと、アーユルヴェーダの温度が街中に伝わっていくのが楽しみでならない。

ピーリスさんと出会うには?
「アーユルヴェーダひだまり(アジア系マッサージ セラピスト)」
釧路市住吉1丁目11-33
tel 0154-64-9796

このたび「ひとめぐり」に新しくライターが加わりました!
初めまして。ちょっとチャらく見られがちなゆうたです!
岩手生まれ、かの有名な大谷翔平選手の隣の高校出身で、同い年の大学生です。
4月には教育大学での生活4年目に突入し、いよいよ最後の年です。
趣味はバスケットボールとドライブで、小さい頃からボールや素晴らしい景色を追いかけてきました。
特に、釧路の冬の厳しい寒さの中で食べる「釧路ラーメン」は格別です!
釧路にはたくさんのラーメン屋さんがあるので、はしごしたくなるほど大好きです。
クスろでは自分がまだまだ気づけていない釧路自慢を今後も次々に見つけて、広く発信していきたいです!
皆さんよろしくお願いします!


ゆうたの編集後記
yuca
アーユルヴェーダのハンドマッサージを体験しました!
人肌に温められた油は塗るだけでなく、すり込むように丁寧にマッサージしてくださり、気持ちよく癒されます。睡眠時間や体質、生活習慣も聞かれつつ、ピーリスさんジョークで楽しい会話もしていただき心もホカホカ。
実は一番ウケている奥様のあきさんを見てますますピーリス家に和まされたのでした!

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