安藤誠

札幌生まれ、鶴居村在住

1964年生まれ
東北福祉大学卒業後、12年間塾講師として勤務し、1999年ウィルダネス・ロッジ「ヒッコリーウィンド」(以下、ヒッコリー)を創業。ネイチャーガイド、プロカメラマンと肩書きは多様。食事を担当する奥さんの忍さん、若い研修生達とともに、『自然環境が果たす「人と自然への役割」』を伝えている。音楽・バイク・バーボンなど興味の範囲も幅広い。

特別天然記念物タンチョウが生息する、自然豊かな湿原や山々を有する鶴居村。
人口2500人程で、酪農・農業・観光業が産業の中心。
釧路市から1時間弱で辿り着けるこの村が、「自然」を敬愛する安藤さんが「基地」に選んだ場所である。
大きな体格に、全身リアルツリー柄のアウトドアウェアを着ているため、一見熊さんのような外見。
語り出すと裏腹に、ゆったりとしたトーンと優しい笑顔に引き込まれる。

何もないところからコミュニティを作り上げていく

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ボーイスカウトに入り、ファーブルやシートンから大きな影響を受け、ありのままの自然が大好きになった少年期。
大学時代、父親の転勤先であった鶴居村に初めて訪れてみると、それが意外に良い村で、将来の自分の住み家にすると決めた。
鶴居村の人口密度の少なさや気候、そしてなにより「手つかずの広大な自然」に安藤さんの心がくすぐられたのだろう。

ー ウィルダネス・ロッジの「ウィルダネス」という言葉にはどんな思いが込められているんですか?

「原野」という言葉が好きで、英語では「ウィルダネス」って言うんだ。
その一つ下のレベルの言い方を「フロンティア」という。
日本では、「フロンティア精神」なんてよく言うけど、それはある程度暮らしの枠組みがある状態を指す言葉。
なんのコネクションもコミュニティも無い土地、まさに「原野」の中に家族単位で入っていって、先住民や野生動物と仲良くなる。
俺はそういった何もないところに新しくコミュニティを作り上げることに価値を感じているんだ。

ー まさに鶴居村の原野で生活している安藤さんそのものですね。
ヒッコリーをやる前が気になりますが、何をされていたんですか?

12年間塾講師の仕事をしていたよ。
就職のポイントになったのは、好きだった歴史でご飯が食べられるところかな。

ー 塾講師の仕事を辞めた後はどんな生活をしていたんですか?

1年間、カナダ人の大工さんに付いて大工の勉強したんだ。
釧路保育園や喫茶店のリフォームもしたよ。
ヒッコリーは自分で建てたからね。流木も拾って来たし、壁を塗ったのも、森の木を切ったのも、デザインをしたのも自分。

ー 大工の見習いだけで家計を支えていたんですか?

まだ娘も小さかったから色々とやっていたよ。
7〜16時まで建築現場で見習いとして働いて道具の使い方なんかを覚えた。
16〜21時からシャワー浴びて、塾でアルバイト。
21〜23時まで家庭教師のアルバイト。
23〜2時の時間に自分のプランを建てて、寝て…の繰り返し。

ー 大変な生活ですね。ご家族は相当な支えになったのではないですか?

そうだね。奥さんには結婚する時に、「このままサラリーマンは続けないからね」と伝えていた。
ただ、塾の仕事を辞めた時は「もう辞めるの?」となったよね笑。
塾の先生は安定していたから、定年まではやると思っていたんだろうね。

ー 創業期の一番の苦労は何ですか?

最初の15年は2000万以上の借金を背負った訳だから、必死だよね。
お客さんが居なくても、極端に言うと収入が0でも、毎月50万以上払わなくちゃならなかった。
5年間ぐらいはどうやって返したかあまり覚えていないな。
アクセサリーを作って売ったり、ギターを教えたり、あらゆることをやっていた。
けど、無担保で借金ができたのも「財産」だと思ってるから、いい経験になったよ。

旅が「自己完結すること」の大切さを教えてくれた

高校時代頑張っていた剣道は、北海道1位の戦いをする程の腕前。
しかし、剣道だけしかやらないのは人の幅を狭めると思い、高校1年生の時、親に止められてもテントを張りながら自転車で北海道を一周した。
自分の視野を広げたい欲求が、外の世界に触れることへの興味に繋がったのだろう。
そして興味をもったものには、自分で体験しないと自分のものに出来ないと、何度でも動いて確かめるという学生時代の旅を通して、「全てに自分が責任を持つことの重要性」に気がついたという。

ー 「北海道一周」して得られたものは何ですか?

旅が素晴らしいということと、「自己完結」することの大切さを知ったこと。
1人旅は、自転車が壊れても、怪我や病気をしても、自分でそれを解決しなくては旅が継続出来ない。
道中周りの人に助けられたけど、やっぱりまずは何事も自分1人で完結する、そうしないと助けてもらえないんだ。
一生懸命自己完結してると援助やアドバイスが出てくるということに気づいたんだよね。
それをさらに証明したくて、大学時代にはバイクで日本一周を4回したんだ。
バイトして貯めたお金で旅をする、の繰り返し。細かい道も含めて3桁県道クラスまで行ったな。

ー 今度は「日本一周」ですか〜!そこで新たに得られたものはありましたか

北海道がどれほど素晴らしいかがわかったこと。
「人」は全国素晴らしかった。だけど北海道の気候や自然環境は他に類を見ない魅力がある。
寒いとどれほど人があったかくなるかを、現代の人はほとんどわかってないと思う。
大学時代の旅の経験から、「自分は北海道で生きていく」ということがはっきりとわかったんだ。

ー 大学時代の旅の大事なパートナーはバイクだったと聞いていますが

バイクも大好きで、今もあるバイク雑誌に旅の体験を投稿したことがあったんだ。
その文章が賞をとって、旅の体験記を書くアルバイトすることになった。
原稿を書いては机の上でもう一回旅をしていたんだ。
読者の方が、手紙をくれたり訪ねて来てくれたりしたのは嬉しかったな。

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愛犬キャンディと一緒にガイドすることも

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撮った写真で地形を逐一確認

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ガイド中に遭遇したヒグマ

「感動していないお客様」が宿とガイドの連動を生んだ

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空港や駅に着くお客様を迎えにいくのも安藤さんの仕事の一つ。
その際にお客様一人一人から「何に興味があるのか」を感じ取り十人十色のガイドを計画する。
リピートするごとに自分の個性や興味を深く把握してくれるので、どんどん良くなっていくのが安藤さんのガイドの特徴だ。

ー お客様へのこだわりはなんですか?

丁寧に「本物」だけ提供すること。
目の前のお客様に自分の出来る精一杯を提供する。
周りの人は自分を映す鏡だから、それをし続けることで自分が本物に近づくと思っているよ。
価値観はみんな違うから相手がどう思うかは関係ないんだ。

ー ヒッコリーは、初め宿だけの形態だったと伺いましたが、どうしてガイドも安藤さんがすることになったのですか?

ある時、カヌー体験を希望したお客様に、カヌー業社を紹介したんだ。
だけど帰って来て、口では「良かった」と言っているのに、全然感動していない。
おかしいな、こんなに素晴らしいはずなのにそんな訳無いだろうと思って、自分で乗ってみた。
すると、カヌー上の会話が野球の勝敗や世間話に終始していたり、景色や動植物の紹介もせず上流から下流まで下りるだけの業社が多いことがわかったんだ。
宿で誠心誠意やっていても、アクティビティで点数を落としたんじゃリピートしてくれない。
じゃあ、責任を持ってガイドもやらなくてはならないという思いが固まったんだよ。
やるならプロフェッショナルになりたいと思った。

ー 宿だけの時代から変わらず大事にしていることはありますか?

泊まって食べて良かっただけじゃなくて、一人一人のお客様に深く感動してもらうこと。
そこの部分が宿泊とガイドが連動している形態は他にはないと思うよ。

命に関わるような厳しい寒さにこそ自然の面白さを感じ、その場所で生きる人々にこそ真のあたたかさを見出だしている安藤さん。
この場所を自らの足で時間をかけて知り尽くし、独自の感性で伝えるこの手法は他では真似が出来ない。
安藤さんはこの手つかずの「原野」の素晴らしさを、自分自身の言葉で今日も丁寧に伝え続けている。

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ガイド中の安藤さん

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ギターもプロ並みの腕。年に数回音楽イベントを開催

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お客さんとの記念写真

安藤さんと出会うには?
ウィルダネス・ロッジ「HICKORY wind(ヒッコリーウインド)」
鶴居村雪裡原野北14線32
0154−64−2956
080−6093−3650(安藤さん携帯)
ブログ:http://hickorywind.jp/blog/
問い合わせフォーム:http://hickorywind.jp/blog/contact-us/

ぼりの編集後記
boriおススメ過ぎる安藤さんの「夜カヌー」
真っ暗闇の中、どんどんと山の中を登っていくバスのような大きい車。
幻想的な沼の水面に落とすパドルの波紋が心を清めてくれます。
静かに身を潜めたシカちゃんの声が「キャーキャー」と聞こえた頃、ぱっと月が一瞬顔を出してくれました。
皆さんもうっとりするモノトーンの世界に浸ってみましょう〜