2016-03

2016-03-16
“Global Harvest Festival” Report -English version-

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Hello! We held “Global Harvest Festival” on November 14th,2015. We want to report how it went! global_web

It is harvest season. A variety of seasonal food is now delicious in Kushiro area, such as fish and vegetables.
People from different countries who live in Kushiro made dishes from their own country using Kushiro ingredients.

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This time, people from South Korea, China, Taiwan, Russia, Malaysia and Turkey joined the event.
Please watch the video clip.

We will look back and make a simple report.

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The event took place at “Tetsuhoku Central Hall”, near the back of Kushiro Station.

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Now, we want to introduce the chefs!

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First, Canan Akimoto from Turkey. She has lived in Kushiro for a year and a half.

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The first item is “chiburekki” which is a very famous dish from the Central Anatolia region of Turkey.
This is sheep meat covered in flour.

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The second item is a traditional dessert of Turkey called “halva”.
It was nice and crumbled, and the nuts smelled good.
Paper plates were also cute! This “halva” was the most popular dish of the day!
It quickly sold out!

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Then of Li eni from China.
She has featured in content ”hitomeguri”in our webpage, please take a look.

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Prepare ”Boiled dumplings”.

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This two people are Paul Leontyev and Sveta Motorina from Russia. There are studying in Kushiro Public University of Economics.

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The first cuisine is a Russian version cabbage rolls called “Garubutsui”.

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The second cuisine is a hamburger dish with rice called the “offigensuki”.

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Deva sai and Ling Jyun Ting two international students from Taiwan.

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“sanbeiji”, a chicken basil dish and served with stir-fried vegetables vermicelli.

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Siti Aishah Binti Hamdan and Siti Syuhada Binti Azhar from Malaysia, two Kushiro technical college international students.

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Seafood flavored “Assam Pedas”, a sour spicy curry soup over rice.

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Nan and Jeon Daeho from Korea.
Nan is a Korean restaurant owner and teacher. Jeon is an international student.

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Their “Spicy Rice Cakes” Korean food stall.
This uses a squid pulled from Kushiro’s ocean!

Even using Kushiro’s own seafood and vegetables, we’ve never eaten these foods before!
It was all delicious!

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Koyo Elementary School fourth graders also joined in! They made two teams.
The first team made Kushiro cookies.

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With “Thank You card”.

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The second team made a sunset dart board.

By all means, please do read!
Koyo Elementary School Report

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Vegetables for sale. Beautiful local red radishes.

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Then the Kusuro team joined in!
Kikuchi’s deer sausage.

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Fruit syrup made from Fall’s seasonal fruit.

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Original Japanese towel made for the global harvest festival.
This article was hand-printed by the staff!

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For the first time ever, Kusuro’s original blend “Hatsukohinoaji”
Sansan’s roasted coffee beans.

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Handmade photo frame.

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Eat-in space.

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The second floor was a craft workshop.

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First, national flag workshop.

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Vegetable stamp postcards!

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national flags.

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Finally the commemorative photo with participants and staff!

A special thanks for everyone who served behind the scenes of the global harvest festival!

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First, Koyo elementary school students!

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And all the Japanese students who helped in many ways for International Students!

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And a thank you to all the technical college students!

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Kushiro Public University of Economics Students also, thank you!

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Movie director was Yoko Yasui.

This was our first food event.
We could do this safely because of everyone’s cooperation!
Thanks to everyone who helped.
Please stay tuned for next year’s event!

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2016-03-10
暖かな学び舎『en.shareplace』を取り巻く4人の女性たち

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荒井千尋

釧路町出身 釧路町在住

赤間有美子

釧路市出身 釧路市在住

甲谷由美

根室市出身 釧路市在住

平川綾

札幌市出身 釧路市在住

荒井さん(右)
1986年生まれ。ご自身の子育て経験から「一生懸命子育てをしているお母さんお父さんを癒せる空間」をコンセプトに、en.1階に「コノワカフェ」を準備中。
現在子育てとより良いen.の空間作りに奮闘中の癒し系代表。
赤間さん(左から三番目)
1970年生まれ。飲食店を経営する家庭で育ち、現在は「じみぱん」の愛称で知られるこだわりのパンを「パン工房AKAKOU」で作っている。
パワフルなen.の発起人。
甲谷さん(左から二番目)
1970年生まれ。オリジナルブランド「Laugh sion(ラフ シオン) 」としてドライフラワーのリースや、バブーシュなどを多岐に渡って制作。
素敵なオーラ漂う雑貨屋さん。
平川さん(左)
1973年生まれ。やりたいと思ったことをとことん追求していく手芸屋さん。
現在は自身のショップ「Lin+(ラン プラス) 」で洋服やカバン、アンティークの手芸用品などを揃えている。

釧路駅裏手から伸びる国道を走ると、鳥取神社の手前に、クリーム色の細長い建物がある。
なんの宣伝文句も広告も書かれていない建物に取り付けられたランプが、「en.shareplace」という手書き風のシンプルな看板を照らす。
突如そこに現れたおしゃれでナチュラルなテイストのその場所には、笑顔で迎え入れてくれる女性たちがいるという。

en.のはじまり

en.shareplaceは2015年12月からプレオープン中。
正式なオープンは春頃の予定となっているが、現在も様々なメディアに取り上げられたり、分野を問わずイベントやワークショップを開催している、
今注目の場所の一つである。
もともと美容院だった物件を見つけ、そこをリノベーションして、現在では4人の女性メンバーそれぞれの店舗(工房)と
レンタル可能なシェアスペースが入っている。
en.shareplaceとは、一体どのような場所なのだろうか?

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ー まず、en.shareplace(以下、en.)のコンセプトについて教えてください

赤間さん(以下、赤):人が集う場所、ですかね。でも、それも無機質じゃなくて、居心地のいい空間にしたかったんです。

ー 雰囲気があって、おしゃれですよね。この空間を作るために、こだわったことはありますか?

赤:誰かが描いた空間じゃなくて、自分たちが描いた空間にしたいなと思って。
1階部分は、ちひろちゃん(荒井さん)が担当してくれたんだけどね。配色とかを決めてくれたの。
2階の3店舗はそれぞれがこだわりを持って内装をやったんですけど。

※en.の1階は、シェアスペースと荒井さんの「コノワカフェ」、2階の3部屋はその他のメンバーが使用している。

ー その中で、特にこのen.内でお気に入りポイントはありますか?

全員:…薪ストーブかなあ。
赤:これは、わたしが「薪ストーブがいい!」って言ったんだけど笑 
ていうのが、甲谷さんの家が薪ストーブなんです。
ずっと憧れてたので、en.に置きたいなって思っていたら、ここがもともと煙突があった物件なので設置できたの。
甲谷さん(以下、甲):イタリア製の、スタイリッシュな薪ストーブなんですよ。

ー いま現在はプレオープンということで、利用者さんからの反応はいかがですか?

赤:シェアスペースの利用者さんは、「またここでワークショップをやりたい」って言ってくれてますね。
ゆくゆくはスペースだけでなくてキッチン貸しもしていきたいんです。
例えば、衛生管理者の資格さえ持っていれば1日だけでもカフェ営業ができるとか。
やっぱり、キッチン貸しをしてくれる場所って少ないので、「やりたくてもできない」っていう声が多いんですよね。
内装にもこだわってるので、利用者さんが「使いたくなる」ような素敵なキッチンを提供できたらなと思ってます。

ー en.は「4人の女性の共同運営」で成り立っていますが、メンバー間のルールなどはあるんですか?

赤:…ないね!(一同笑)

ー ないんですか!?

赤:いや、それって、すごいと思うの。普通なら、なにかしらあるじゃない。
甲:みんななんでもOKなので、どんな状況でも「なんとかなる」って思ってるんだよね。
赤:できるときはできる。できないときはできない。ただそれだけ。
甲:うん、無理しない。どんな困難が来ても全然余裕です、このメンバー。そういう自信があるので笑
平川さん(以下、平):うん、なんとかなりますよね。
赤:ルールがないからと言って無秩序でもないんですけど笑 モラルはある笑

ー だからと言って、お互いのことに興味がないわけではないですよね。
こちらから見ると、お互いに干渉していないように見えますが

甲:お互いに干渉する必要のない関係ですよね。
平:もうみんなそこはできあがってますから笑 そういう意味で完成形なんです笑
赤:それから、ゆるいの。ゆるいつながりなの笑
荒井さん(以下、荒):…どうしてでしょうね?笑
赤:うん、自分たちもどうしてこんな関係になったのかわかってない笑

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en.メンバーそれぞれのご家族も自慢の薪ストーブを囲んで団欒(左)、改修は市民参加のワークショップ形式で行った(右)

それぞれの”縁”に溢れた道のり

en.の4人は、手を広げる分野も雰囲気も年齢も全てがバラバラ。
個性的なこの4人が、今までどんな道を歩み、そしてen.にたどり着いたのか。

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ー それではまず、赤間さんの経歴について教えていただけますか?

赤:高校を出てからは事務の仕事をしていたんですが、やっぱり小さい頃から憧れていた調理をやろうと思い、専門学校を目指していました。
ですが、今の旦那さんに出会いまして、結婚をして、子供が3人生まれました。
結局専門学校には行かず、子育て三昧笑。子供はすくすくと育ってくれましたけど、食物アレルギーを持ってたんです。

ー お子さん3人ともアレルギーをお持ちだったんですか?

赤:次女と末っ子が持ってましたね。
私の子供の場合は、乳製品や鶏肉、卵がダメでした。
末っ子が特にひどくて、本当に食べられるものが少なかったんです。

ー では、お子さんも赤間さん自身も「食」については相当苦労されたのですね。
それが、パン作りにどのように結びついていくんですか?

赤:パンは、実は長女が生まれた時からホームベーカリーでちょこちょこ作ってたんです。
末っ子は小麦は大丈夫だったので、「じゃあ本格的にパン作りを学ぼう」ということで、パン教室に通うようになりました。
そこで学んだレシピを対アレルギー用にアレンジして、家でパンを作っていました。
今も、道産小麦や低温殺菌の牛乳を使うとか、食材にもこだわりを持って作っています。

ー パンをお客様に提供し始めるようになったきっかけは何だったんでしょうか?

赤:実は、37歳の時に乳がんを患ったんです。
幸い完治はしたんですが、社会復帰するには体力も自信もなかったんです。
そんな時に、友達夫婦が「カフェを一緒にやらない?」って声をかけてくれて、
「ベーカリーカフェ じみへん」のパン部門に加わったんです。

※「ベーカリーカフェ じみへん」:かつて、釧路市の行政施設などが点在する釧路駅にほど近いエリアである、黒金町にあったベーカリーカフェ。2010年に閉店。

ー 今まで家族のために作っていたパンを、お客様に出すことで、パン作りに対しての気持ちの変化はありましたか?

赤:安定した質の提供を心がけるようになりました。作れる種類は少なかったんですけど。
また、私はプロのパン職人の味を目指すのではなく、
親しみやすい家庭的な「お母さんの味」を追求しています。
そしたら、お客様から私のパンを「じみへんのぱん」の略で「じみぱん」と愛称で呼んでもらえるようになったんです。
それは嬉しかったなあ。

ー 続いて甲谷さんの経歴について伺っていきたいと思います

甲:高校時代までは根室に住んでいて、2年間だけ東京で学生をしていました。
そしてまた根室に帰って、教育系の仕事をしていました。
10年くらい同じ職場で働いてましたね…もう曖昧なんですけど笑 
実は小学校の文集には「将来なりたいもの:自営業」って書いてました笑

ー自営業とは、大人びた表現ですね!笑 当時のお仕事はどんな感じだったんですか?

甲:大きな苦労はありませんでしたが、当時は自分の人間形成ができてなかったんですよね。
色々と葛藤しながら、仕事をしていました。
結婚をしてからは退職して、子供も生まれて、専業主婦になりました。

ー 甲谷さんは、お子さんは何人いらっしゃるんですか?

甲:小学5年生の男の子が1人います。
それこそ、私の息子が幼稚園に入るときに、通園バッグやなんやを作らなくちゃいけなかったので、
必要に迫られてミシンを買ったのが手芸への第一歩でしたね。
学生の頃は家庭科なんて大の苦手だったのに笑 

ー それがどんな風に手芸のお仕事への道へつながっていったんでしょうか

甲:私が手芸を始めた当時はネット上での手作り雑貨取引が盛んだったので、私も何か作っては出品してました。
それが売れることが楽しくって、どんどんハマっていったんです。
毎日毎日、巾着とかマスクとか作ってましたね。
結構、ネット上の取引って面倒くさい手続きが多いんですけど、自分のことは「工場」だと思って作り続けてました笑
作るのも楽しいし、売るのも楽しい、っていう。
多分その二つがうまい具合に重なったんでしょうね。

ー 他にどういったものを作られていますか?

甲:リースも作っています。小さい頃からやまぶどうのツルで作ったりしていたんです。
一人でも山の中に入るのが好きだったので、自然とそれを大人になってからもやっていたという感覚ですね。

ー 甲谷さんはen.に拠点を置く前は、どこで活動されていたんですか?

甲:制作は自分の家を工房として使っていたんです。それから、バブーシュ作りの講師もしていました。
また、colorfulっていう作家集団(過去の「ひと」めぐりにも登場してくださった三上智美さんも所属する釧路の作家集団)を作って、
みんなで一緒にモノづくりやイベントをやってたんです。
今も参加していますよ。

ー お次は、平川さんについてお聞きしていきたいと思います。

平:出身は札幌で、育ちは当時の上湧別町でした。
高校卒業後は網走で学生をしたのち札幌に移って、10年くらい医療系の仕事場で働いていました。
今は専業主婦で、4年半前に主人の仕事の都合で釧路に来たんです。

ー 平川さんはどういったことがきっかけでモノづくりを始めたんですか?

平:私はね、天から降りてきたの笑。突然「あ、やってみたい」って思って、始めたらハマっちゃって。

ー 天から!笑 では、幼少期の体験や作家さんとの出会いなどがきっかけというわけではないんですね

平:学生時代は家庭科とか、いわゆる「女の子」なことが一切嫌いでした。
医療系の仕事をしてた時に「私はこの仕事じゃないな」と思いながら働いていたんですが、
そんな時に「何か作ってみよう!」って天から降りてきたんです、急に笑
そのタイミングで、職場で編みぐるみの人形を見つけて、「かわいいなー」と思って、
それで「これなら作れるかな?」「ちょっとやってみようかな」と思って始めたんですね。

ー もともと、興味のあることはやってみる性格だったんですか?

平:いや、そうでもないんだよなー笑。手芸に関しては、そういう気持ちになったんだけど。
そして、当時の職場も編み物が得意な女性が多くって、私の思いつきが続くような場所だったんですよ。
でも、しばらくしたら、今度は「編み物じゃないな、これも違うな」ってなっちゃって笑

ー 編み物も「違った」んですね笑

平:そう笑。そうしたら今度、「ミシン買おう!」ってお金もないのに買って適当に色々作ったりしたんです笑
職場にいた編み物を中心に雑貨を作っていた方とコンビを組んで、一緒に作家活動をし始めることになりました。
私は手芸を始めたばかりの時期だったので、コースターや巾着なんかを作ってましたね。

ー 手芸歴は浅かったけれど、もう作家活動を始めてたんですね

平:そう。それで、そういうのを作っていたら、今度は生地自体にハマっちゃって。
自分でモノを作るよりも、布ばかり買いあさってました。
「布見てるだけで幸せ、でも私に何も作ってない!」みたいなね笑
そうしたら今度、生地から自分で作ってみたくなっちゃって、
今度は、「機織りやろう!」って機織りを習い出したんです。
そんな感じでどんどん手芸の原点に戻っていっちゃいましたね。
さすがに自分で織った生地とかはないんですけど、自分で選んで仕入れた生地を使って作品を作っています。
中でも、長期間着ても着心地がいい「リネン」が好きですね。

ー 荒井さんの経歴についてもお聞きしていていきたいと思います

荒:私は釧路町出身で、高校も釧路市内の高校に通っていました。
卒業後は結婚をして、主人の仕事の手伝いをしながら専業主婦をやってここまで来た感じですね。
子供は二人いまして、上の男の子が6歳で、下の女の子がもうすぐ4歳になります。

ー では、今荒井さんが運営準備をされているコノワカフェは、ご自分の子育て経験からからきているものなんですか?

そうですね。今はもうないんですけど、昔「えぷろんおばさんの店」っていうカフェがあったんです。
そこは、「子育て中のお母さんもお父さんも、ゆっくりのんびり出来るように」というコンセプトのカフェで、
私も小さい子供を連れてそこへ通ってたんです。
もちろん、カフェ営業がメインなんですが、子育て経験のあるスタッフの皆さんが、
手が空いている時はお母さん目線でアドバイスをくれたりとか、話を聞いてくれたりしてくれる場所だったんです。
子供の面倒で普段ゆっくりご飯を食べられない親の代わりにスタッフの方が子供を見ていてくれたりとかしてくれて。
私はその場所がすごく好きだったんです。
子供たちが幼稚園に上がって、手がかからなくなっても一人で通っちゃうくらい笑

※「えぷろんおばさんの店」…かつて海沿いの高台で寺や神社などが立ち並ぶ歴史ある地区「米町(よねまち)」にあった、古民家をリノベーションして作られた子育てカフェ。

ー そこの雰囲気自体がお好きだったんですね

荒:そうです。本当に好きでした!すごく人気な場所で、
入れないときもあるくらいの場所だったんですが、今はなくなっちゃったんです。
ものすごく残念に思っていたので、「いつか自分もこういう場所をやってみたい」という憧れと思いはずっとありました。

ー 実際にコノワカフェを運営するにあたってのきっかけはあったんですか?

「こういうコンセプトで、こんな場所を作ってみない?」という「en.」の立ち上げのお話が赤間さんからあって、その波に乗りましたね笑
そこで、「一生懸命子育てをしているお母さん、お父さんが少しでも息を抜いてまた笑顔で子供と向き合うことが出来るようお手伝いがしたい」という
自分のやってみたかったことができそうだったので、コノワカフェとして、運営準備を始めました。

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赤間さんの開催する「じみぱん教室」は毎回大人気ですぐに予約が埋まってしまうほど(左)
現在開店準備中のコノワカフェでは荒井さんの淹れてくれる美味しいコーヒーが飲める(右)

価値観が違うからこそ尊敬し合える

それぞれの経歴も分野も違う4人だが、見ている方向は同じだという。
この個性豊かな4人が集まったきっかけについて伺った。

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ー そもそも、en.はどなたが発起人だったんですか?

甲:言い出しっぺは赤間さんですね。
平:私、釧路に来たときから赤間さんと一緒に年に1,2回イベントをやってたんですけど、
知り合った頃から「いつか、何か別の形で一緒にやりたいね」とは言ってたんですよね。
そうしたら突然1年くらい前に彼女に突然波が来たみたいで笑 とんとん拍子に話が進んでいった。
赤:「一緒にやるんだったらこの人たち!」っていう人たちに声をかけました。
甲谷さんと平川さんの2人にお誘いしようと決めていたんですが、やっぱり若い人の考えや刺激、子育て真っ最中な意見も欲しいと思っていたら、
ちひろちゃん(荒井さん)がちょうどカフェをやりたいという相談をしてくれたんです。
考えもしっかりしているし、タイミングも良かったので、en.の計画段階の話をしました。

ー 最初、赤間さん以外の皆さんはお知り合い同士ではなかったんですか?

平:そうなんです。他の3人が出会ったのはその頃ですよね。
荒:4人で初めて、en.の近くのカフェで会ったんですよね。
私は、それぞれみなさん良い意味で印象深く、「エネルギッシュな方たちだなあ」と思いました。

ー あの、ひとつお聞きしたいんですけど。複数人で何かを運営するのって、勇気要りませんか?

赤:いや、要らない。(即答)

ー そうですか笑。例えば「価値観の違いがあったら嫌だなあ」という心配はなかったですか?

赤:いや、価値観なんか全員違うもん!
甲:もう、違いすぎてね笑。
赤:うん、そうだね。逆に価値観の近い人たちで集まっちゃった方が難しそうだよね。
甲:私たちは、人はそれぞれ価値観が違うことをみんな理解しているし、その上で尊敬し合ってるから。
平:ワガママも言えるし言ってほしいよね。
よく「女の人4人で集まって大変じゃないですか?」とか言われるんですけど、みんなそれぞれだから、
過度な干渉をせずに個人を尊重できる、良い距離感の4人だと思っています。
甲:多分、もう1人1人それぞれでやっていける人たちの集まりだから、依存することもないし。

ー では、お互い1人でできないから4人で集まったというよりは、この4人でやりたいから集まったという感じなんですか?

赤:そうですね。やっぱり私は、この3人が人として好きだし、尊敬してるし。
なんでかっていうと、裏表がない人たちなんですよね。
1人1人はものすごく技術やセンス、経験に長けた力のある人達でも、経済的にも育児や介護などの家庭的なことも
女性が社会進出をするにあたって様々なハンデがありますよね。
それらを背負いながらもできることをやりたかったんです。
もし何かハンデにぶつかることがあっても、四人でリスクや痛みを分担すればいい。
メリットとデメリットをうまく混合させたのがこの形だと思ってます。
だから私は、自分一人でお店を持ちたいとは考えず、誰かと一緒にやりたかった。
でも、それは私と同じパンを作ってる人とじゃなくて、刺激し合える様々な分野の方と同じ建物の中で「ご近所付きあい」のような形で
やりたかったんです。

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甲谷さんの独特なセンスで彩られた店内には生活に華を添えてくれるバブーシュが並ぶ(左)、平川さんの「好きなモノ」でいっぱいの店内にはシンプルでやさしい品物ばかり(右)

en.という「学び舎」

en.では、毎月様々な「学び」のイベントが開催されている。
それは、運営メンバーの4人が講師となって開催するものもあれば、それぞれの作家友達の方やその道のプロの方をen.にお招きして、
イベントを開催することもある。
そんな時には、en.の4人も「学ぶ側」として参加することもあるそうだ。
en.のウェブサイトに、こんな一文が載っている。
『いろいろな世代の人たちが楽しむことが出来る 今まで知らなかった世界やもっと詳しく知りたい世界を学ぶことが出来る。
そんな「en.」を目指します。』

この一文を中心に、en.のこれからについて語っていただいた。

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ー 今後もen.はこのメンバーの店舗として続いていくものなのでしょうか?

赤:実は、私たちもずっとここで活動し続けたいというよりは、中にいる人を順繰りさせたいんです。
例えば、利用者さんがen.のシェアスペースで一ヶ月間の間だけ、自分で作った作品を売ったりして力をつけて、
そして「自分で店を構えたい」と自信を持てるようになってきたら、私が今使っている上のスペースをお貸します、とか。

ー 個別スペースの責任者が循環してもいい場所なのですね
ではどうやって、「チャレンジしたい」と思ってる人を見つけようと考えていますか?

赤:en.のイベントに来てくださった方の中で、興味のありそうな方に声をかけるとかですね。
どなたかの紹介や雑貨屋さんで見かけた作家さんに直接コンタクトを取ることもあります。
平:何かを始めるきっかけをここで作ってもらえれば嬉しいですね。
その中からそれをどんどん追求していく方が現れたら、en.をやっていた甲斐があると思います。
赤:実際に先日、今おすすめの釧路の作家さんたちを私たちが紹介するようなイベントをやってみました。

ー en.を利用する方に対してはどんな気持ちを持っていらっしゃいますか?

甲:今はやろうと思えばなんでもできる時代だから、私たちのような「普通の人」でもなんだってできるじゃないですか。
利用者さん達の中にキラッと光るものが見つかれば、その刺激やセンスに触れたいし、共有したいですね。
en.のような場所に集まると、それぞれのセンスが広がって、もっと大きいものになるんじゃないかなという期待があって。
教えるというよりも、共有したいです。

ー en.を中心に活動していく中で、最終目標はありますか?

甲:手作りを通して、文化的な意識を高めていきたいです。
特に北海道は文化的な意識があまり高くないので。
手作りしている人の知識や使っている道具とかっていうのは、ものすごい価値があるので、そういうものを紹介して見せていきたいですね。
赤:学ぶことや、手作りのものに対してお金を払うことの価値を伝えていきたいです。
きっと、そういうものにお金を出す意味がわからないというのは、その素晴らしさや価値を「知らない」から。
講習費とかそのモノの中には、その人が今まで注いできた時間や、捨ててきた材料などが経験として詰まってて、それ込みのお金なんです。
甲:芸術とまではいかなくても、手作りのモノの中には個性がたくさん入っていて、作り手の方によって違ってくるので。
荒:いろんな方に楽しんで活用して欲しいですね。
平:そして、自分で学んだことを自分で発信していくような方と繋がれたら、私たちも嬉しいです。
赤:ここに来て「楽しい」と感じるだけでなく、自分の中の輝けるものを見つけられる場所にしていきたいです。

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お互いの分野を行き来して常に学ぶ姿勢を大事にしている(左)、作家さんやショップのカード、次回ワークショップ案内とその見本(右)

今回はen.の4人皆さんに同時に取材させていただいた。
それぞれの経歴について伺っている最中、別のメンバーから「え、そうだったの?」「知らなかった」という声があがり、
そして「そうなんだよ〜」という笑い声があがる。
聞くと、アルバイトやen.以外の活動範囲も広い赤間さんがその週ほとんどいなくても、お子さんが小さい荒井さんが長時間en.にいることが難しくても、
甲谷さんと平川さんが制作に追われる時間が多くても、他のメンバーが当然のように時間や人手を埋めていた。
彼女達は個人の価値観や時間の流れを尊重し、協力し合うが干渉し合わない。なんてバランスのいい関係だろう。
柔らかくて少し気の抜けた空気感が、居心地がよくこんなにも暖かな場所を作っている。
en.という場所は、学校のような場所だと思う。先生も生徒も、この雰囲気に惹かれて自然と集まってくる。
大人も子供も関係なく「学ぶ楽しさ」をシェアする場所。
彼女達の蒔いた学びの種は、様々な場所で輝かしく花を咲かすことだろう。

en.の皆さんに出会うには?
en.shareplace
釧路市鳥取大通3丁目20-16
Tel:0154-45-1085
http://en-shareplace.com/

かしこの編集後記
kashiko今回、取材にあたって何度もen.さんに伺わせていただきました!(迷惑)
赤間さんのじみぱん教室では図々しくも美味しいパンをいただいたり、甲谷さんの雑貨店では店内の気になるドライフラワーのお話を伺ったり、平川さんの手芸屋さんでは可愛いお洋服を試着させていただいたり、荒井さんには美味しいコーヒーを淹れていただいたり。
皆さんとおしゃべりをしていると、自分の中の学びの花が少しずつ首をもたげてきます。
「学びたい!」気持ちだけでOKなので、ぜひen.さんへ遊びに行ってみてくださいね。
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2016-03-05
道東唯一の治療法!心と身体をほぐすアーユルヴェーダ師

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ティラック ピーリス

スリランカ出身 釧路市在住

単身日本に渡り、東京時代にイタリア料理店でシェフを務めるうち、日本永住を決める。
奥様のあきさんに出会ったのち、茨城県へ。
東日本大震災を機に、あきさんの実家がある北海道・標津町に一家で移住。
自身の怪我や家族の将来を考え釧路市へ移り、2015年からアーユルヴェーダ「ひだまり」を営む。

緩やかなカーブを帯びた通りに面した一角。
ここに、疲れた身体と心も癒してくれるスリランカ伝統の治療院があると聞きつけた。
建物の外にはスリランカの国旗が飾られ、扉を開ければ中では、暖かい笑顔が印象的なピーリスさんご夫婦が迎え入れてくれた。

アーユルヴェーダは教え、学び、受け継がれていくもの

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ピーリスさんはアーユルヴェーダ「ひだまり」にて、オイルやハーブを使った施術を行っている。
アーユルヴェーダとは、豊富なオイルやハーブを用い、オールハンドで行われるインドやスリランカの伝統的な治療法。
薬や手術で治すのではなく、自分の「生き方」そのものを見つめ直し、心身の不調・食生活の不具合を総合的に改善するという考え方のもと、
世界中の人々の心と心身の健康を支えている。

ー ピーリスさんのアーユルヴェーダとの出会いについておしえて下さい

11歳の時に関節のリウマチになり、アーユルヴェーダの治療院にお世話になりました。
スリランカでは国の運営しているアーユルヴェーダ施設は施術費が無料なので、家族が多く治療にあまりお金が割けない我が家は助かりました。

ー 無料とは驚きですね!

そうです。昔から引き継がれている伝統的な治療法なので、スリランカでは病院だけでなく、家庭内でも身近に行われるんです。
施術に使うハーブやオイルの力と、その人本来の持つ自然治癒力が組み合わされて初めてアーユルヴェーダの効果が出てきます。

ー 自然治癒力と融合させる治療とは興味深いですね

例えば腰痛持ちの患者さんが居たとします。
今、私がオイルで治療をしたとしても、その人がすぐに外へ行って雪かきをしたり、重いものを運ぶ仕事をしたら、
アーユルヴェーダの効果が出ないんです。
施術を受けたその日だけでも安静にしなきゃいけないんです。

ー しっかり休むことも大切ということですか?

そう、休んで治すの。
痛みがある部位を施術する時はよくオイルやハーブを使ってマッサージして、患部の中までホカホカにするんですよ。
そこから、身体の中で自分の力による治療が始まります。
例えば膝の軟骨が磨り減ってしまっている患者さんなら、身体の中で軟骨の生成が始まるのです。
だから、患者さんには治療についてご理解をいただいてから施術をするようにしています。

ー それがピーリスさんのこだわりでもあり、アーユルヴェーダというものなんですか?

そうですね。あとは患者さんの体質を知ることも重要なので、施術の前に問診票を使いながら聞いています。

ー その問診票はどんな内容なんですか?

ご本人の身体の特徴や、性格を問う質問をします。
アーユルヴェーダでは、ワータ(インド読みでは「ヴァータ」)(風)、ピッタ(火)、カパ(水)と呼ばれる
3つのドーシャ(自然法則から導かれた生命原理)によって体が支えられていると考えています。
数十種類の質問の答えを元に、ワータ・ピッタ・カパのバランスを確認します。

ー その人によって施術の方法も変わってくるということですか?

そう。その人の体質を見てオイルを選びます。
オイルにもホカホカするオイル、冷やすオイルとか色々あるんですよ。
冷える人ならホカホカするオイルを使って、その油を身体の中に浸透させていくわけなんです。
食事や生活習慣も、その人ごとに適したものを説明します。

ー なるほど。ちなみに「ひだまり」というお店の名前の由来を教えていただけますか?

「ひだまり」はね、家族にお父さんの手って太陽みたいであったかいってよく言われていて、
寒い日には子供達が私の手を握ってきたりするんですよ。
みんながお腹が痛いとか、手が痛いとか言うと、私がさすったりもしますし。
それをヒントに「太陽」のいろんな言い方を探して、最後に「ひだまり」にしました。

ーお仕事での奥様との役割分担はどうなさってるんですか?

私があまりわからないパソコンを使うような経理関係やメールのやりとり、電話の受付を妻のあきがしてくれていますね。
そのおかげで私は患者さんの問診や施術に専念できています。

ーそれは安心ですね!奥様はどのような存在ですか?

今まで18年間パートナーとしてやってきて、家庭でも仕事場でも一緒にいるけど、やっぱりこの先も一緒にいないとね。
スリランカ人は、死ぬまで一緒にいるって考え方なんです。

ー素晴らしい関係ですね。でも国も文化も違うことでストレスを感じることはなかったですか?

いや、ありますよ。でも主に私の日本語に関してかな。
喋ることはできるんだけど、読めないというのがストレスかな。今でも勉強してますね。

ーあきさんとはうまくいっていないことがなさそうですよね。喧嘩とか嫌なこととか

んー髪の毛長くして欲しいんだけど、いつの間にか切ってきちゃうんだよね。

ーそれは好みですよね笑

まあね!笑 喧嘩はしないよ!

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仲の良いおしゃべりが途切れないピーリスさんとあきさん(左)とアーユルヴェーダの神様「ガネーシャ」とオイルポット(右)

心に残っていた震災の記憶

スリランカと日本でピーリスさんが体験した大きな震災。
その2つがリンクし、思いがけず北海道という地に根を下ろすことになったそうだ。

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ー スリランカはどういった国なのでしょうか?

スリランカは、インドの下にあって暖かい島国です。
ただ、スマトラ沖地震では結構多くの人が亡くなったんです。

※スマトラ島沖地震:2014年12月にインドネシア西部のスマトラ島北西沖で発生した地震で、スリランカでは35322人が亡くなった。

ー 悲惨な震災でしたね

そうですね。東日本大震災の時は茨城県に住んでいました。
やっぱりあれは忘れられないですね。
あの日はあきも一番下の娘を出産間近だったし、家族を養うという責任を改めて深く考えるきっかけになりました。
出産を終えて1週間後にあきの実家がある北海道に来ることにしたんです。

ー その時に北海道に戻ってくることを決めたんですか?

いえ、その時は震災の混乱が収まるまで様子を見ようと思っていました。
でも、しばらく経ってもグラウンドで遊んではいけないとか、色んな制限が子ども達にとってストレスになるだろうという心配は消えませんでした。

ー それで、一時的な滞在から移住をすることになったんですね

そうですね。最初は標津町の方にいました。
でも、来て一年で子ども達が通う学校の閉校が決まったんです。
その時に彼らはまた、お友達とお別れするショックを受けたんですよね。
一番上の息子の高校を決める時に、「野球をやりたいから釧路市内の高校に行きたい」って本人が言ったので、
みんなで釧路に腰を据えて暮らそうということに決めたんです。
また、釧路に住んでいたあきのおばあちゃんが90歳を越える高齢で、食事や医療関係が心配だったということも
移住を決めた大きな理由の一つですね。

標津町:北海道東部、根室海峡沿岸の中央部に位置する町。漁業では日本有数のサケ漁獲量を誇る。

ー その頃もピーリスさんはアーユルヴェーダをされていたんですか?

いえ。あきのお母さんが酪農業を営む牧場で、私は食品関係で商品開発をやっていました。
元々料理人だったこともあって料理教室もしていましたよ。

ー 料理人だったんですか!?

そうです!それまでは料理の仕事がほとんどでしたね。

ー そもそも日本に来たのはどんな理由があったんですか?

20歳あたりの頃、私はスリランカの家の近くのお寺で日本語を勉強していたんですよ。
そこの日本語を教えてくれた先生が「将来は何するんだい?」って聞くから、私は「イタリアに行って調理人になりたい」って言ったんです。
「日本語はなんで勉強しているの?」って言われて、「日本語に興味があるからです」って言ったら、
「じゃあ、せっかく日本語勉強しているんだったら、日本に行こう!日本にもイタリア料理のレストランはたくさんあるよ」
って勧めてくれたんです。

ー その先生がいなかったら日本に来てはいなかったんですね

そうそう。私が日本に来た頃は、給料がスリランカの10倍くらいだったんですよ。
逆に飛行機は、18万〜20万円ほど。それはスリランカにしたら1年分くらいの給料です。
それをお兄ちゃんとお母さんが「行きなさい」と言ってくれ、なんとかお金を工面してくれたので、日本に渡ることができました。
東京の観光をしたり、アルバイトをしていくと日本での暮らしが面白くなって、日本はいい国だなと思いました。
その後、何回か東京とスリランカを行き来しましたが飛行機代や生活費もかかるので、スリランカに帰ることはやめました。

ー 奥様のあきさんとはどこで出会ったんですか?

18年前、先輩の誘いで働くことになった吉祥寺のレストランに厨房スタッフに、既にあきがいたんですよ。
まだ会う前に他のスタッフ達から「あきちゃんは恐い子だよ!」って冗談で言われてたんだけど笑、
実際会うとそんなことなくて、話が合ってすぐ仲良くなったよ。
プリティだったね笑 それからずっと仲良しなままだね。

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茨城県にいた頃のピーリスさん(左)とレストランの厨房では自慢の腕をふるった(右)

膝がきっかけで始めたアーユルヴェーダ

東京へ来たばかりの頃は、夢だった料理人として働き、人生のパートナーとなるあきさんと職場で出会い結婚した。
その後、あきさんと築いた家族と、スリランカの家族の両方に支えられ、人生の転機となる膝の怪我をアーユルヴェーダによって乗り越えたそうだ。

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ー 標津町では、アーユルヴェーダを始めるまでのお仕事はどんなことをされていたんですか?

標津町の牧場で商品開発の仕事をしながら、もう一つ仕事をやっていたんですよ。
私、大型一種の免許を持っているので、牛のエサ運びをしていました。
大型トラックで何回も降りたり登ったりしていたので、やっぱり足に良くなかったんですよね。
倉庫の中もいつもとても寒かったので、温暖なスリランカで生まれ育った私には寒さが一番厳しかったです。
それから過去に、茨城時代の同僚とスキー場に行った時に膝の靭帯を切った経験があり、完治はしていたはずなんですけど、
知らない間に悪化していたみたいで。

ー 仕事が原因で膝を痛めてしまったんですか?

そうです。足を下に置くと電気が流れるぐらい痛みが来て、水が溜まるようになってしまったので仕事を辞めることにしました。
病院では「このままだと軟骨がなくなり、人工関節にしなくてはいけない。でも今はできないから55歳まで様子を見ましょう。」と言われてしまって。
働くことも出来ないし、痛みもひどいからどうしようと思いました。
それでスリランカの家族に電話したら「スリランカに帰ってきなさい」と言われたんです。

ー それで日本では治療はせずに、スリランカで膝を治すことにしたんですね?

そう。アーユルヴェーダの治療をする為、スリランカに帰って3ヶ月入院しました。
日本からは車椅子で行ったんですよ!

ー 車椅子とは、渡航前には相当膝の調子も悪かったんですね

当そうなの。一番辛かったのは子どもを抱っこできないし、遊べないでしょ。
私は野球が好きなのに、キャッチボールできないでしょ。

ー ピーリスさんにとってご家族と離れることは辛かったですね

下の娘二人はまだ小さかったので、やっぱりその子達を残していくのは辛いですよね。
それに寂しがり屋なの笑。
でも子どもだって行ったり来たりできないしね。学校もあるし。
だからこそ、スリランカの先生にも「家族のためにちゃんと3ヶ月入院しなさい」って言われたんです。

ー そのご自身の治療の体験が、アーユルヴェーダを勉強するきっかけになったのでしょうか?

そうだね。私にとってアーユルヴェーダとは自分の命を助けてくれたものなんですよね。
11歳で無料のアーユルヴェーダで関節のリウマチを治してもらった時も、この膝の時も。
3ヶ月の入院生活を終えた後、日本で3ヶ月安静にしていました。
その間、アーユルヴェーダの修行を自分でもしてみたいと思うようになり、
家族に相談すると、「やってみたら?」とみんなが背中を押してくれました。

ーアーユルヴェーダを仕事にしていこうという思いはあったんでしょうか?

はい。日本の方にもアーユルヴェーダを伝えていきたいと思っていました。
それをスリランカの先生と相談したら「じゃあまた帰ってきなさい」って。
勉強してアーユルヴェーダの資格を得るためには、スリランカで修行を終えたあと、インドの学校で勉強しなくてはなりません。
インドには1人ではなく、スリランカの15人のグループで行ったんですけどね。
そのグループは、私以外はみんな病院の先生方だったんです。
スリランカではアーユルヴェーダの資格や免許という制度は近年までなかったんです。
代々受け継がれてアーユルヴェーダの診療所をしている人が多くて。
ただ、今は、テロの問題も解決して海外からの観光客相手にブームに乗ってアーユルヴェーダの看板をあげている
インチキみたいなものも出て来たりして、資格が必要になってきているんです。
それで、資格を取って日本に帰ってきてすぐに標津の自宅でアーユルヴェーダを始めました。

ー標津町でもされていたんですね。今の釧路のお店と同じようにされていたのですか?

自宅での施術に加え、訪問もしていました。
近場だけでなく、隣町にも通っていました。そこには3人ぐらいのお客さんがいて、半年続けて1週間に2回ぐらいだったかなあ。
その中の30代ぐらいの若い女性のお客さんは、腰椎狭窄症(ようついきょうさくしょう)でした。
腰から下半身までしびれが出ていて、病院では「これ以上しびれがひどくなったら手術だ」と言われていたようなんですが、
アーユルヴェーダで少しでもよくなれば、と訪問治療を始められました。
半年ほど続けられた頃、しびれもなくなり、腰痛もなくなってきたようです。
釧路市に移転した今でも一ヶ月に一回、ご家族と一緒に通われています。

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アーユルヴェーダにかかせない薬草やハーブ類(左)、修行時代に勉強したノート(右)

アーユルヴェーダ「ひだまり」の向かう先

アーユルヴェーダに対する感謝の念と、もっと多くの人に知ってほしいという熱い想い。
「ひだまり」の今とこれからについて伺った。

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ー 「ひだまり」をこれからどんなお店にしていきたいと考えていますか?

まず、釧路地域のみなさんに、アーユルヴェーダ「ひだまり」っていうのを誰に聞いてもどこに行ってもわかるように広めていきたいですね。
そのためには、アーユルヴェーダがどういうものなのかを商工会議所の方々やご近所の皆さんにお力を借りながら
色々なイベントをやっていければと考えています。

ー お店のことは勿論のこと、そもそもアーユルヴェーダを広めていきたいということでしょうか?

そうですね。
始める時から覚悟は決めていたんですけど、日本に馴染みのないアーユルヴェーダをやるのはすごく難しいと思います。
何年もかかるかもしれませんが、続けていきたいと思っています。
将来的にこの「ひだまり」は、長男と一緒にできたらなあと考えていますね。

ー 息子さんとですか!

はい。長男はやれるところまで野球をやったら、勉強してインドやスリランカへ行って資格を取り、
日本でアーユルヴェーダの仕事をしながら野球をしたいって言ってますね。

ー 親子で経営とは素敵ですね。アーユルヴェーダが多くの方に知ってもらえるといいですね

今は、まだこの治療院を始めたばかりなので介護施設でフットケア体験、市内の文化センターでハンドケア体験、初めての方限定のキャンペーンなどをして、まずは「知ってもらう」という活動に力を入れています。

ー そうなんですね。その他には何かやってらっしゃいますか?

アーユルヴェーダの食事会を開いています。
私は元々料理人をしていましたし、「アーユルヴェーダの料理」というのもあるので、
それも勉強していつか皆さんに食べてもらいたいと考えていました。
アーユルヴェーダ料理はスパイスが多いので、お客さんに体質アンケートに答えてもらって、バランスを整える食事を作っています。
お客さんの反応も良く、1ヶ月に1回違うメニューでやると言ったら、皆さん楽しみにしてくれていますね。

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アーユルヴェーダ料理セミナーでのランチプレート(左)、大切な家族(右)

スリランカのお父さんは、仕事が終わるとすぐに家へ帰るのだとピーリスさんが語ってくれた。
食事をするときは家族全員が席に着き、常におしゃべりをしながら、家族団欒の時を楽しむことが当たり前だという。
太陽のように、心も体も温かいピーリスさんは愛する家族には勿論のこと、誰にでも分け隔てなく、その温かい優しさを与えてくれる。
日出ずる国「日本」、そして夕焼けが有名なここ「釧路」に、スリランカ生まれの「太陽」の治療院ができた。
ピーリスさんの温かな手からじんわりと、アーユルヴェーダの温度が街中に伝わっていくのが楽しみでならない。

ピーリスさんと出会うには?
「アーユルヴェーダひだまり(アジア系マッサージ セラピスト)」
釧路市住吉1丁目11-33
tel 0154-64-9796

このたび「ひとめぐり」に新しくライターが加わりました!
初めまして。ちょっとチャらく見られがちなゆうたです!
岩手生まれ、かの有名な大谷翔平選手の隣の高校出身で、同い年の大学生です。
4月には教育大学での生活4年目に突入し、いよいよ最後の年です。
趣味はバスケットボールとドライブで、小さい頃からボールや素晴らしい景色を追いかけてきました。
特に、釧路の冬の厳しい寒さの中で食べる「釧路ラーメン」は格別です!
釧路にはたくさんのラーメン屋さんがあるので、はしごしたくなるほど大好きです。
クスろでは自分がまだまだ気づけていない釧路自慢を今後も次々に見つけて、広く発信していきたいです!
皆さんよろしくお願いします!


ゆうたの編集後記
yuca
アーユルヴェーダのハンドマッサージを体験しました!
人肌に温められた油は塗るだけでなく、すり込むように丁寧にマッサージしてくださり、気持ちよく癒されます。睡眠時間や体質、生活習慣も聞かれつつ、ピーリスさんジョークで楽しい会話もしていただき心もホカホカ。
実は一番ウケている奥様のあきさんを見てますますピーリス家に和まされたのでした!

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